愛媛新聞「道標」(掲載 2008年7月27日) 連載6回目

卒業論文と卒業制作
—言葉と空間 関係問う—

神戸芸術工科大学教授 花田佳明

 先日、四年生の卒業論文の中間発表会をおこなった。え、もう卒論? しかもデザインの大学なのに卒論があるの?と不思議に思われるかもしれないが、私の学科では、卒業論文と卒業制作の両方が必修なのだ。全員が十月末に前者を、一月末に後者を提出する。どちらか一方という大学が多い中、このやり方を開学以来続けており、その教育効果は非常に大きいと自負している。
 卒業論文も卒業制作もテーマはさまざま。卒業論文は、建築・公園等の使われ方の調査分析、町や地域づくりの事例研究、建築作品論・建築家論、歴史的町並みの保存論、小説や映画の空間分析などもある。卒業制作も、建築設計から都市や地域へのソフト的提案まで幅広く、空間をテーマにした映像作品が提出されたこともある。
 その指導や評価の過程で私が最も重視するのは、言葉と空間の関係に対する誠実な思考の有無である。
 たとえば卒論。大阪の下町を「都市の裏側」という視点で分析したいと学生が言う。裏側なんて相対的な言葉だから定義できない、裏は必ず何かの表だ、まずは裏側という言葉を使うのをやめて現実の空間を丹念に観察しよう、その中から君の実感に近い別の言葉を発見すべきだ、と私。
 卒業制作で、学生がある町に美術館を設計すると言う。何の美術館?と私。アートです、とすごい答え。中身を決めずに容器を考えている。なぜその場所なのかと私。故郷だからと学生。それは建築をつくる根拠ではないと私。
 そんなやりとりを繰り返す。学生の言葉が建築や町という空間の本質を覆い隠している場合、あるいは、その根拠を示す言葉なしに空間を作ろうとしている場合に、それらの言葉と空間は間違っていると指摘する。そして、世界をもっとクリアに見通す力をもった新しい言葉と空間を探せと激励する。卒業論文と卒業制作の両方をやる意味はまさにここにある。学生たちは、二つの仕事を関連づけながらやり通すことで、世界の二大構成要素としての言葉と空間の存在と、それらの相補関係の大切さを実感するのだ。
 学生たちの頼りなさをお笑いだろうか。しかし、現実の社会も奇妙な言葉と空間で満ちている。
 たとえば「ふれあい広場」。市役所の玄関ロビー、公園の一角、盆踊り大会、そういった場所や催しの呼び名の定番だ。しかし「ふれあい」という曖昧な言葉は、何と何のどのような関係の発生を期待するのかを不問にし、「ふれあい」の舞台としての空間についても、新しいイメージを喚起することはできなかった。
 コミュニティ、ふるさと、居場所、○○広場、出会いの場、癒しの空間などの言葉も同じ。どれも別の言葉で説明ができ、しかも説明してしまうとそのつまらなさが明らかになる。つまり、問題の本質を隠蔽する危険な言葉たちなのである。
 いよいよ夏休み。学生たちは、言葉と空間のあるべき姿についての考察を本格化させる。大人も、誠実な実践と勉強をしないと格好がつかない。
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by yoshiaki-hanada | 2001-07-26 00:53 | ●愛媛新聞「道標」欄の連載
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