年末年始は6日間ほど高知市の実家にいた。
歳とった両親だけでやっているので大変である。 4日間は妻と子どもも一緒。最後の2日間は僕だけがいた。 料理がさっぱりなので役立たずだが、妻による作り置きのものやら何やらを出し、病院への送り迎えをし、買い物に行き、話し相手になり、そんなこんな。 僕らくらいの世代で、地方に親がいる人たちすべてが抱えているはずの難問だ。 しかも両親ともに出身は高知ではないため、親戚もいない。しかも僕には兄弟はない。 介護保険による支援というのも初めて経験しているが、いろいろと腹の立つことが多く、頼りないものだということを実感した。 ところが実に実に幸いなことに、ご近所からの支援がいただけている。 農山村部でもないのに、それはもう奇跡のような状況である。 遠隔地にいる息子としては、御礼の言葉もない。 コミュニティの本来的、理想的なあり方を、理屈じゃなく実践していただいている。 今日からは、関西在住の親戚と、いわゆるシルバーさんもお願いするような段取りが進んだ。 おかげで両親の声にも張りが戻った。 外との接点の重要性を痛感する。 松村正恒本づくりは、いよいよ佳境にはいってきた。 高知でもずっと校正作業。 1月3日に3章と結論の2校目のチェックバックの紙の束を編集部に発送。 正月早々、電話、メールでのやり取り。 モバイル環境を手にしたのでどこでも仕事ができる。 助手のKさんに教えてもらったこれ、ホントに便利だ。 ネットにつながったパソコンで原稿を書くことだけができればいいという僕の要望にぴったり。 高知からの帰りの電車では、大江健三郎の『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』。 実家の本棚にあった古い新潮文庫だ。 1975年発行で、僕が1978年の10月25日に買ったもの。 学部3年生の秋だなあ。32年前! 「キリン堂にて」とあり、これは下宿の近く、小田急線経堂駅の駅ビルのなかにあった本屋さん(今もあるようだ)。 久しぶりに読む硬質な大江の文章が予想以上に心地よかった。 「イーヨー、排骨湯麺とペプシ・コーラおいしかった!」。 当時、青木淳君と大江のどれが好き?と話していて、いいよねえあれと一致したフレーズである。 わかりますか? 「父よ、あなたはどこへ行くのか?」の中にある言葉です。 あれから30年か。あっという間だなあー。 なおどうでもいいことだが、「走れ、走りつづけよ」のなかに、「超ドライなマティニを」という表現を発見。 これって、最近の「超キモイ」とかいうあの使い方と同じですよね? ちょっとびっくり。 本日5日から、大学も始動。 学科会議と、芸工大恒例の教職員による新年互礼会。 先輩の先生方に会う。 大病を経験された方もいるが、皆さんお元気で、その精神力も肉体も怪物のようだ。 すごい。 編集者と今後のスケジュール等について、詰め。 近づく入稿日に対する不安との闘いである。
by yoshiaki-hanada
| 2011-01-05 23:52
| ●花田の日記
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