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101206 この2週間

あれやこれやの2週間。備忘録。

●11月26日(金)
卒業制作の中間講評会。残念ながら心揺さぶられるものが(少)ない。もっと深い考察や苦悩に基づいた妄想を見せてくれなくちゃ。

●11月27日(土):東京
・午前中:某緊張仕事
・お昼:松村正恒本について編集者の方と打ち合わせ。2月前半の配本のためのスケジュール確認。今年の年末年始は、再校、念校(というらしい)のチェックで埋まりそうだ。大丈夫だろうか。

・夕方:約30年ぶりの再会劇。
僕が学部時代の5年間、お世話になった下宿のおばさんを訪ねたのだ。
ご主人に先立たれ、93歳になったおばさんは、有料介護老人ホームにはいったおられる。
年賀状のやり取り等は続いていたが、やっとお目にかかることになった。
昔は、まさに京塚昌子さんのような体格と風貌だったおばさんも、さすがに93歳ともなると小さくなっていた。
しかしお元気そのもの。会うなり「あ、花田君!懐かしいわねえ」である。
頭脳明晰、思い出話に花が咲いた。

下宿は小田急線の豪徳寺と経堂の間にあった。
地名でいうと赤堤。
戦後すぐに小田急が開発した住宅地で、4畳半、6畳、台所、風呂という間取りの木造平屋建ての建売り住宅だったとのこと。
それに少し建て増しし、一部に2階を載せ、下宿屋を始められたのだ。
もはや死語というべきだろうが、「賄い付き下宿」である。
おばさんとおじさんには子どもさんがなく、おばさんのお母さんが同居され、下宿人は3人だった。
実名を書くのは憚られるが、おばさんのお父さん、つまり同居していたおばあさんの夫は陸軍のかなり高位の軍人で戦死していた。ときどき、その軍服の虫干しがおこなわれた。
また、おじさんも陸軍士官学校出の元軍人。戦後は某大学に勤めていた。
しかし、そういった経歴とは裏腹に、というかむしろ戦前の知識人の家族だったがゆえにというべきだろう、下宿はいたってリベラルな空気に満ちていた。
おばさんも色々と注文をつけたといういかにも戦後的なダイニングキッチンで、大家さん一家と下宿人はひとつのテーブルでご飯を食べ、家族同様に大事にしてもらった。

下宿の玄関は独立していて、下宿人は鍵をもらい、連絡してさえおけば何時に帰っても怒られなかった。
下宿ゾーンと大家さんゾーンはインターホンでつながっていて、大家さんちに電話がかかると(電話はそれだけ)、インターホンが「プー」と鳴って「花田くーん、電話よー」、ご飯ができると「ご飯よー」とおばさんの甲高い声が響いたのだ。
僕が1年生ではいったとき、理科大の建築を卒業して研究生で残っていたHさんがいて、その部屋でドラフターや水彩パースや模型や『a+u』を初めて見て、「やっぱり建築だ」と僕は決めた。
兄弟のいない僕にとって、また祖父母の味も知らなかった僕にとって、Hさんは兄弟とはこんな感じなのかな、両親より少し年上のおばさんとおじさんは祖父母とはこんな感じなのかなと思わせてくれた。
色々な思い出に満ちた5年間だ。
つくづくこの下宿で暮らしてよかったと思っている。
以前、朝日新聞の連載でも少し書いた。
忘れないうちにいずれ詳しく記録しておきたい。

ちなみにこれがこの下宿の外観写真である。
3年前に訪れ、たまたま居合わせたご親戚の方に主のいなくなった内部も見せていただいた。
僕は2階の奥の4畳半にいた。
自分がいた部屋に入るとめまいがしそうな気分になった。
下見板張りの木造住宅。まさに昭和の暮しだ。
残念ながら少し前に取り壊された。
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・夜は、花田研の卒業生で、青木事務所のMRYM君と南洋堂のSNG君、それにこの春から大学入学で上京した息子と一緒に飲み会。建築業界四方山話。実に楽しかった。

●11月28日(日):東京
中村正義の美術館へ。ご存知の通り、篠原一男の設計した「直方体の森」である。
学部生以来憧れ続けた建築家の作品であり、なんと言うか、あれやこれや思い出すこともあって感無量だった。
とくに、階段を上がったところにある窓から、吹き抜けをはさんで向こう側の窓を見ていると、「ああこの距離感だったんだあれは」という感慨に包まれた。
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受付で建築関係の方ですねと言われ、撮影禁止とか絵の前に立つなとかの注意を書いたカードを読まされたのは誠に残念。
なお外観写真は許可を得て撮影したものです。

・そのあと世田谷美術館へ移動し、「橋本平八と北園克衛展」へ。
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昨日打ち合わせをした編集者の方から教わり、駆けつけた。
とてもよい展覧会だった。
橋本平八の作品は初めて見たが、どれも「ほしい!」と思わせるものばかり。
北園克衛もオリジナルの多くの冊子や原稿が展示してあり、見応え十分。
いずれも彫刻、絵画、ブックデザイン、詩の世界における、モダニズムと伝統の境界線上でのストラグルを感じさせるものばかりであり、しかも、それぞれの造形的な完成度が抜群である。
松村正恒と似てるなあと思った次第。
こういう挑戦やそれによって生まれた造形こそ、もっと長く思考やデザインの対象であるべきだと改めて思った。
12月12日まで。必見です。

世田谷美術館のある砧公園は一面の落ち葉。
こういう風景はいかにも東京だなあと感じ、勝手に一抹の疎外感(笑)。
昨日から今朝にかけて、東京の郊外の混乱した風景の中を電車で移動し続けていたので、なおさらだった。
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●11月29日(月)
来春、竹中工務店のGALLERYA4(ギャラリーエークワッド)で、松村正恒と日土小学校についての展覧会がおこなわれるのですが、そのための打ち合わせを、竹中のMさんと大学にておこなう。
展覧会の詳細はまた書きます。

●11月30日(火)
五十嵐淳さんのトークセッション
自分の外部世界や歴史などに根拠を求めるのではなく、実現しなかった最初期のプロジェクト「Mirror Site House」(1999)を原点とし、そこからその後の展開を説明していく語り口が印象的。お話から想像すると高校時代はおそらくドロップアウト気味で、大学へも行かなかったということや、ひとりでやってこられたという経歴などを重ね合わせ、勝手に色々なことを考えた次第。

●12月1日(水)
卒業制作について、3研究室で、より濃密なゼミ。
学生諸君には、頭の使い方を問われているのだ、ちゃんとやらないと(もちろん自分に対して)恥ずかしいのだ、という意識をもっともっともってほしい。

●12月2日(木)
某プロジェクトの某打ち合わせ。うまく動けばいいのだが。

●12月3日(金)
松村正恒本、残っていた校正を返却。
あとは、数日後から届き始めるはずの再校との闘いとなる。
とくに、これまではいわば文字校だったので、レイアウトの確認だ。
細かいバグも消してしまわなくては。

●12月4日(土)・5日(日)
実家へ。離れた場所にいる親の面倒をどう見て行くのかは、僕らくらいから上の年代が必ず遭遇する難問であろう。
往復の電車の中では、恥ずかしくてとてもかけないほど基本的な日本近代建築史のお勉強。
by yoshiaki-hanada | 2010-12-06 18:56 | ●花田の日記
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