101214 オープンスタジオの最終作品

オープンスタジオの最終作品の図面の画像をアップしました。

これは、当日パワーポイントデータ以外に提出してもらったA1パネルの画像です。
プレゼに基本はパワーポイントによる画像上映でした。
ほぼこの中の画像を編集したものでしたが、アニメーション風もあり、皆さんこの静止画像よりは表現力豊かなプレゼでした。
これ以外に模型も提出されています。

評価のポイントは、各自が取り上げた「風景」からの「飛距離」の長さと着地点の面白さです。
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# by yoshiaki-hanada | 2010-12-15 10:51 | ●花田の日記

101211 オープンスタジオ最終講評会

「オープンスタジオ2010 青木淳と建築を考える」の最終講評会をおこなった
詳しいレポートはいずれ書きますが、とにかく、非常に興奮した一日だった。

学生諸君から最終的に出された案はどれも素晴らしく、感激。
最優秀1点、優秀2点、佳作7点のつもりだったが、青木君とかなり考えた末、優秀3点に変更したほどだ(用意していた賞品の関係でこれ以上「優秀」を増やせなかった)。
もちろんこれまで2年間の作品も素晴らしかったが、今年はそれ以上に、各自の「飛距離」のようなものが大きくかつ知的だった。

3年目にしてやっとこの課題の意味が出題側(少なくとも僕は)も学生側もわかったという側面もあったかもしれない。
芸工大の学生の中には3連勝、2連勝の人もいる。
身近で見てきた僕としては、その成長ぶりがよくわかる。
きわめて特殊な課題だったが、その成果は確実にあったと思う。
正直言うと、学生にこれほど大きな影響を与えるとは予想していなかった。

今年は会場を講義室に変え、懇親会もそのままそこで椅子に座ってみんなでテーブルを囲んだ。
全員が喋り、まるでゼミの打ち上げの感じ。
楽しかった。

青木君に心からお礼を言いたい。

さっそく作品を展示しています

「第51回全国大学・高専卒業設計展示会」も同時開催なので、ぜひ見に来て下さい。
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# by yoshiaki-hanada | 2010-12-13 11:08 | ●花田の日記

101207 お知らせ

お知らせ2つ。

●八幡浜市立日土小学校の、冬休みと春休みの見学会の日程が決まりました。
授業期間中の見学はありませんので、この機会にぜひ。
詳しくは、市のサイトのここ

   冬休み見学会 平成22年12月26日(日) 午前9時~午後4時
   春休み見学会 平成23年 3月27日(日) 午前9時~午後4時

   主催:八幡浜市教育委員会
   共催:社団法人日本建築学会四国支部 日土小学校WG

   問い合わせ 八幡浜市教育委員会 学校教育課 施設係 梶本さん
         TEL0894-22-3111(内線8363)
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●「オープンスタジオ 青木淳と建築を考える2010」の最終講評会を下記の日程で開催します。

   日時:2010年12月11日(土)13:00〜18:00
   会場:環境・建築デザイン学科棟2F講義室/5201教室

今年は学科棟の講義室を会場にしました。狭い部屋でわいわいとやりたいと思います。
どなたでも参加自由です。ぜひお越し下さい。定員は80名くらいでしょうか。
いざとなれば立ち見です。

詳しいプログラムはこちらをご覧下さい。
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# by yoshiaki-hanada | 2010-12-07 01:07 | ●花田の日記

101206 この2週間

あれやこれやの2週間。備忘録。

●11月26日(金)
卒業制作の中間講評会。残念ながら心揺さぶられるものが(少)ない。もっと深い考察や苦悩に基づいた妄想を見せてくれなくちゃ。

●11月27日(土):東京
・午前中:某緊張仕事
・お昼:松村正恒本について編集者の方と打ち合わせ。2月前半の配本のためのスケジュール確認。今年の年末年始は、再校、念校(というらしい)のチェックで埋まりそうだ。大丈夫だろうか。

・夕方:約30年ぶりの再会劇。
僕が学部時代の5年間、お世話になった下宿のおばさんを訪ねたのだ。
ご主人に先立たれ、93歳になったおばさんは、有料介護老人ホームにはいったおられる。
年賀状のやり取り等は続いていたが、やっとお目にかかることになった。
昔は、まさに京塚昌子さんのような体格と風貌だったおばさんも、さすがに93歳ともなると小さくなっていた。
しかしお元気そのもの。会うなり「あ、花田君!懐かしいわねえ」である。
頭脳明晰、思い出話に花が咲いた。

下宿は小田急線の豪徳寺と経堂の間にあった。
地名でいうと赤堤。
戦後すぐに小田急が開発した住宅地で、4畳半、6畳、台所、風呂という間取りの木造平屋建ての建売り住宅だったとのこと。
それに少し建て増しし、一部に2階を載せ、下宿屋を始められたのだ。
もはや死語というべきだろうが、「賄い付き下宿」である。
おばさんとおじさんには子どもさんがなく、おばさんのお母さんが同居され、下宿人は3人だった。
実名を書くのは憚られるが、おばさんのお父さん、つまり同居していたおばあさんの夫は陸軍のかなり高位の軍人で戦死していた。ときどき、その軍服の虫干しがおこなわれた。
また、おじさんも陸軍士官学校出の元軍人。戦後は某大学に勤めていた。
しかし、そういった経歴とは裏腹に、というかむしろ戦前の知識人の家族だったがゆえにというべきだろう、下宿はいたってリベラルな空気に満ちていた。
おばさんも色々と注文をつけたといういかにも戦後的なダイニングキッチンで、大家さん一家と下宿人はひとつのテーブルでご飯を食べ、家族同様に大事にしてもらった。

下宿の玄関は独立していて、下宿人は鍵をもらい、連絡してさえおけば何時に帰っても怒られなかった。
下宿ゾーンと大家さんゾーンはインターホンでつながっていて、大家さんちに電話がかかると(電話はそれだけ)、インターホンが「プー」と鳴って「花田くーん、電話よー」、ご飯ができると「ご飯よー」とおばさんの甲高い声が響いたのだ。
僕が1年生ではいったとき、理科大の建築を卒業して研究生で残っていたHさんがいて、その部屋でドラフターや水彩パースや模型や『a+u』を初めて見て、「やっぱり建築だ」と僕は決めた。
兄弟のいない僕にとって、また祖父母の味も知らなかった僕にとって、Hさんは兄弟とはこんな感じなのかな、両親より少し年上のおばさんとおじさんは祖父母とはこんな感じなのかなと思わせてくれた。
色々な思い出に満ちた5年間だ。
つくづくこの下宿で暮らしてよかったと思っている。
以前、朝日新聞の連載でも少し書いた。
忘れないうちにいずれ詳しく記録しておきたい。

ちなみにこれがこの下宿の外観写真である。
3年前に訪れ、たまたま居合わせたご親戚の方に主のいなくなった内部も見せていただいた。
僕は2階の奥の4畳半にいた。
自分がいた部屋に入るとめまいがしそうな気分になった。
下見板張りの木造住宅。まさに昭和の暮しだ。
残念ながら少し前に取り壊された。
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・夜は、花田研の卒業生で、青木事務所のMRYM君と南洋堂のSNG君、それにこの春から大学入学で上京した息子と一緒に飲み会。建築業界四方山話。実に楽しかった。

●11月28日(日):東京
中村正義の美術館へ。ご存知の通り、篠原一男の設計した「直方体の森」である。
学部生以来憧れ続けた建築家の作品であり、なんと言うか、あれやこれや思い出すこともあって感無量だった。
とくに、階段を上がったところにある窓から、吹き抜けをはさんで向こう側の窓を見ていると、「ああこの距離感だったんだあれは」という感慨に包まれた。
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受付で建築関係の方ですねと言われ、撮影禁止とか絵の前に立つなとかの注意を書いたカードを読まされたのは誠に残念。
なお外観写真は許可を得て撮影したものです。

・そのあと世田谷美術館へ移動し、「橋本平八と北園克衛展」へ。
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昨日打ち合わせをした編集者の方から教わり、駆けつけた。
とてもよい展覧会だった。
橋本平八の作品は初めて見たが、どれも「ほしい!」と思わせるものばかり。
北園克衛もオリジナルの多くの冊子や原稿が展示してあり、見応え十分。
いずれも彫刻、絵画、ブックデザイン、詩の世界における、モダニズムと伝統の境界線上でのストラグルを感じさせるものばかりであり、しかも、それぞれの造形的な完成度が抜群である。
松村正恒と似てるなあと思った次第。
こういう挑戦やそれによって生まれた造形こそ、もっと長く思考やデザインの対象であるべきだと改めて思った。
12月12日まで。必見です。

世田谷美術館のある砧公園は一面の落ち葉。
こういう風景はいかにも東京だなあと感じ、勝手に一抹の疎外感(笑)。
昨日から今朝にかけて、東京の郊外の混乱した風景の中を電車で移動し続けていたので、なおさらだった。
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●11月29日(月)
来春、竹中工務店のGALLERYA4(ギャラリーエークワッド)で、松村正恒と日土小学校についての展覧会がおこなわれるのですが、そのための打ち合わせを、竹中のMさんと大学にておこなう。
展覧会の詳細はまた書きます。

●11月30日(火)
五十嵐淳さんのトークセッション
自分の外部世界や歴史などに根拠を求めるのではなく、実現しなかった最初期のプロジェクト「Mirror Site House」(1999)を原点とし、そこからその後の展開を説明していく語り口が印象的。お話から想像すると高校時代はおそらくドロップアウト気味で、大学へも行かなかったということや、ひとりでやってこられたという経歴などを重ね合わせ、勝手に色々なことを考えた次第。

●12月1日(水)
卒業制作について、3研究室で、より濃密なゼミ。
学生諸君には、頭の使い方を問われているのだ、ちゃんとやらないと(もちろん自分に対して)恥ずかしいのだ、という意識をもっともっともってほしい。

●12月2日(木)
某プロジェクトの某打ち合わせ。うまく動けばいいのだが。

●12月3日(金)
松村正恒本、残っていた校正を返却。
あとは、数日後から届き始めるはずの再校との闘いとなる。
とくに、これまではいわば文字校だったので、レイアウトの確認だ。
細かいバグも消してしまわなくては。

●12月4日(土)・5日(日)
実家へ。離れた場所にいる親の面倒をどう見て行くのかは、僕らくらいから上の年代が必ず遭遇する難問であろう。
往復の電車の中では、恥ずかしくてとてもかけないほど基本的な日本近代建築史のお勉強。
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# by yoshiaki-hanada | 2010-12-06 18:56 | ●花田の日記

101124 

書き込みが1週間に1回のペース。
寒くなると身体が何となく冬眠状態になってきて、動きが鈍るような気がする。
そのわりに僕としては珍しくあちこち動いた1週間。
備忘録。

●16日(火):3年生のスタジオ(製図室)があまりにも散らかっているので、数日前から予告し、学生諸君に一斉清掃させる。床に紙や模型材料が落ちていても平気、それを踏んでも何ともないというのは異常である。きれいになると空気の透明度が上がったような感じがした、でしょ、みんな!

●17日(水):修論・修士設計の中間発表会。いろいろと指摘した。何しろ論理の筋が見えないものはダメ。あの程度の指摘でめげないでね。事実を言っているだけなんだから。
夕方からは藤森照信先生の特別講義。話が横にそれそうでいて、そのうち元に戻ってくる。それを繰り返しながら、最後にお茶室と21世紀がつながった。開始時刻がいつもより遅く、しかも予定よりお話が長くなったのでワインパーティは中止。買ってしまったパンと飲み物で、学外の学生諸君も交えて講師抜きのワインパーティ。

●18日(木):実習。

●19日(金):4年生の卒業制作についてゼミ。もうしばらくどこまで深く考えられるかが勝負だな。
某発表のための打ち合わせ。
最近、本当に不思議な縁でつながった方へ博士論文を送る。早くお会いしたい。

●20日(土):ゼミ生全員と助手のKさんとで豊田市美術館へ。石上純也展だ。
建築を介したすさまじい妄想には圧倒される。
ただ同じ妄想でも、たとえば篠原一男やアルドロッシに僕自身が学生の頃感じたのと同じ感情の震えを覚えるかというとそうはならない。単に歳をとったせい、かどうか。
ともかく見ておくべきものであることは間違いない。
だいたいの感じはこのサイトの写真でわかる。

「雲を積層する scale=1/1000」はどうやって作ったのか。
監視の女性の説明によれば、まず最上部にくる1層分をつくり、それを天井から吊り、左右からステーをとりながら下に向いて作っていったのだそうだ。そして最後にすべてのステーを切り自立させた。僕は、まず1スパン分を最上部まで作り、それを横に成長させていったと予想したが、はずれだった。

最後の展示室に置かれた作品は、ヴェネツィアビエンナーレの倒壊した作品の系統だが、「梁」に相当するものはなく、「柱」が長方形平面の4辺に沿って立っているだけで、「フレーム」にはなっていない。
とんでもなく細く白い部材を、さらに細く透明な糸で引いているので、何があるのかほとんどわからない状態だ。
ただ、「柱」だけを並べるのなら、しかもそれに「雨」という言葉を与えるのなら、長方形平面の内部にも「柱」を立てるべきではなかったか(しかもひょっとしたらランダムに)、とは院生M君と一致した意見。しかしそれをやろうとすると、さらに途方もない人手と根気が必要だっただろう。

豊田市美術館といえば、外構の床に全く水勾配がなく水平であることが見所のひとつだ。
それを実現するために、まずは水勾配のある床を作り、その上に石を貼ったパネルが置き式で敷き詰められている。パネルどうしの目地は埋めず、そのすき間から水が落ち、排水されるのである。
ここにも一種の建築的妄想がある。
何年かぶりに訪れたが、その石のパネルはあちこちに割れや不陸があり、無理なディテールだったのではないかという感じがした。
エントランスロビーのメリハリがなく、ミュージアムショップも小さすぎる。
僕は丸亀の方が好きだなあ。
建築関係者多し。阪大チームと出会う。
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そのあとのお決まりのコースのようだが、妹島さんの「逢妻交流館」へ。
すっかり暗くなり、夜景を見たが、とてもよかった。
関連する感想をオープンスタジオのエスキス篇に書きました
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●22日(月):神戸大学の梅宮弘光さんが企画された〈戦災復興期における都市環境形成に関する研究会〉へ。
初田香成さん(東京大学大学院工学系研究科特任助教)の「戦後日本における都市再開発の形成と展開」、村上しほりさん(神戸大学大学院人間発達環境学研究科 博士前期課程)の「『神戸新聞』にみるヤミ市の変遷 1945-1947」というレクチャーを聞き、勉強する。4年生のY君も参加。
その後、参加者で三宮へ下り、戦後の国際マーケットがあった場所を見、高架下商店街を三宮から神戸駅まで歩いた。小人数の会で、たいへん勉強になった。
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# by yoshiaki-hanada | 2010-11-25 02:28 | ●花田の日記

101116 いろんなことのあった1週間

僕にしてはいろんなことのあった1週間。
各種会議、M2の院生M君との修士制作を巡るいろんな会話、デザイン実習、卒業制作ゼミ、パソコンモバイル化、某高校の先生との打ち合わせ、某企業の方との某プロジェクトの打ち合わせ、松村正恒本の校正返却、風邪による家族のダウン、子どもの一時帰省、等々。週末は歳とった親の元へと神戸を離れたので、なおさら遠い昔のことのように思える。

な−んて書くと個人的なことも多く大げさすぎるが、お知らせしたいことはさらに多く、以下の通り。

オープンスタジオのエスキスコーナーに、入選した10作品の画像、青木君のコメント、作者からの最初の返事を掲載しました。12月11日の最終講評会に向けて、ここを議論の場としたい。コメントの書き込みはどなたでも自由です。

オープンスタジオの、入選10作品以外の作品を公開しました。もちろん作者の名前は伏せてあります。いろいろな作品があるのでお楽しみください。また、青木君の選択眼について考える手がかりにもなりますね。

●青木君から、オープンスタジオの「賞品」にする本のリストが到着。さっそくアマゾンで手配。今年もユニークな本が選ばれています。お楽しみに。

●またまた友人のH大学S先生からの情報ですが、11月14日の日本経済新聞の文化欄に、鈴木成文先生の弟さんでフランス文学者の鈴木道彦氏が、「残された文化財」というタイトルで、鈴木成文先生が住んでおられた鈴木家の住宅についての文章を書かれている。
この家は、昭和の暮しを伝える文化財として保存し公開しようと、生前の成文先生が豊島区に寄贈すべく奔走され、それを受け継いだ道彦さんが最終的にすべてをまとめられた。
いうまでもなく道彦氏は、プルーストの『失われた時を求めて』の個人全訳を成し遂げられた偉大な文学者である。その一方で、在日の人権運動にもふかく関わった人物でもある。その経緯は『越境の時 1960年代と在日』(集英社新書)に詳しい。
日経の文章は、まさにそういう社会派的な眼で鈴木家の住宅を見つめたもので、成文先生からはうかがうことのなかった視点であり、大変に興味深いです。それは「日本の地主がフランス文学と結びついて生まれたこの和洋の建物」という一文に象徴されています。ぜひご一読を。
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# by yoshiaki-hanada | 2010-11-16 23:37 | ●花田の日記

101108(月) 朝日小学生新聞に日土小学校が

11月4日(木)の朝日小学生新聞のトップを日土小学校の写真が飾った、という情報をその日の朝、小学生のお嬢さんのために同紙を取っている友人のH大学S先生からいただいた。
「近代建築 保存の動き」という見出しで、日土小学校はじめ、東京の復興小学校のひとつ高輪台小学校や、今も使われている銀座の有名な奥野ビルなどを事例に、建築を保存活用することの重要性を訴えている。
DOCOMOMOという言葉まで書いてあるぞ。
すごい!
小学生新聞ななんて、もう教科書に載ったようなもんだ(笑)。
同紙のサイトにもアップされています
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# by yoshiaki-hanada | 2010-11-08 23:01 | ●花田の日記

101107(日)


集中してやってきた松村正恒本の初校の校正がほぼ終了。
全体の3分の2まではすでに返してあり、このところは松村家に残る手紙の分析をおこなった第3章をやっていた。
あずかっている蔵田周忠、土浦亀城、内田祥哉、川添登といった人々からの手紙を読み解いた章だが、再度すべて元の手紙と照合、あれこれと手を入れた。
結局1ヶ月以上かかってしまった。
けっこう写し間違い書き間違いがあり嫌になった。
事実誤認も一か所発見。八幡浜総合病院本館の掲載誌を見落としていた。
新事実もひとつ発見。松村の設計した神山小学校を掲載したアメリカの某組織の本というのが見つからなかったのだが、彼が対談で言っている本のタイトルがどうも間違いではないかと気づき、あれこれネット検索しているうちに正しいタイトルと思われる本を発見。国内の4つの大学が所蔵していることがわかりさっそく現物貸借を手配した。
何しろすべて修正し、この本をもって定本としたい。
3校までは確認したいけど、とにかく通読するのが大変だ。
まだまだこれから。

●●
青木君とのオープンスタジオの入選作を発表しました
作品をまとめてみるならここ
例によって、青木君に全作品を送る前に僕も選んでみたのですが、打率は半分くらいかな。
相変わらず、器用な技にごまかされず、隠れた可能性を見い出す彼の眼はすごい。
入賞した人はまずコメントの書き込みからお願いします。
青木君(や私)から返事をしてもらいます。
また、それ以外の方の書き込みも自由。
学生諸君同士の議論もぜひ。
さらなるブラッシュアップを期待しています。

●●●
昨日6日(土)は、芸工大でおこなわれる遠藤剛生展オープニング
遠藤さんには我々の学科の教授になっていただき今年度で丸4年たった。
予めわかっていたことではあるが、残念ながらそれでちょうど定年となる。
その記念にという意味も込めた展覧会だ。
会場の様子はここ
模型、素面、写真パネル、掲載誌、それにヨーロッパを中心にした旅先で描かれた多くのスケッチ、水彩、油絵も展示され、迫力満点の展示である。
模型は最近の学生や若手建築家が作るものと比べると時代の変化をまざまざと感じる力強さ。
絵はプロ級の腕。
バナキュラーな街や風景を絵にすることで手と目で記憶し建築へ反映させるというスタイルは、もはや見かけなくなってしまったが、それでいいのかと考えさせられた次第。
必見である。

会期:11月8日(月)〜11月20日(土)
*開館10:00〜18:00 11月14日(日)休館
会場:ギャラリーセレンディップ
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# by yoshiaki-hanada | 2010-11-08 12:18 | ●花田の日記

101103 


文化の日。
推薦入試前期の仕事で大学へ。


オープンスタジオの選考結果、青木君から到着。
現在、コメントや画像を整理中です。
間もなくオープンスタジオのサイトに発表します。
お楽しみに。

発表しました。
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# by yoshiaki-hanada | 2010-11-04 10:54 | ●花田の日記

101102 


オープンスタジオの応募作品が届き、すべて青木君に送りました。
結果等、なるべく早くオープンスタジオのサイトに掲載します。お楽しみに。


松村正恒本の校正、できたところからまでの第二弾を編集者に返し、だいぶ終わりが見えてきた。
今週中には何とかなりそうだ。10月いっぱいという目標だったからまずまずのペース。
最後、いろいろな人から松村に宛てた手紙を分析した章をいじっている。
蔵田周忠からの手紙など、改めて読んでいると面白い。
論文を書いていたときより落ち着いて読めるし。
松村が勤めていた当時の八幡浜市役所の建物、とくに彼の部署がはいっていた臨時の建物の写真の提供情報がはいってきた。本にはぜひ載せたいのでお願いメールを書いた。
本そのもののデザイン等についての打ち合わせも進む。提案がいくつか通り、嬉しい。


校正の合間の拾い読みが読書の時間。
蓮實重彦『随想』(新潮社)を買ってきた。久しぶりの蓮實節。是非はともかく、これで文章能力を鍛えられたという人も多いのではないか。村上春樹を巡る内田樹からの批判への反論が書いてあった。これへの内田側からの再反論ってあったっけ。
アマゾンやジュンク堂取り寄せ分も届くが手つかずが多い。


卒論の査読が始まっている。自分のゼミの分は終了。
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# by yoshiaki-hanada | 2010-11-03 01:13 | ●花田の日記

101102 


オープンスタジオの応募作品が届き、すべて青木君に送りました。
結果等、なるべく早くオープンスタジオのサイトに掲載します。お楽しみに。


松村正恒本の校正、できたところからまでの第二弾を編集者に返し、だいぶ終わりが見えてきた。
今週中には何とかなりそうだ。10月いっぱいという目標だったからまずまずのペース。
最後、いろいろな人から松村に宛てた手紙を分析した章をいじっている。
蔵田周忠からの手紙など、改めて読んでいると面白い。
論文を書いていたときより落ち着いて読めるし。
松村が勤めていた当時の八幡浜市役所の建物、とくに彼の部署がはいっていた臨時の建物の写真の提供情報がはいってきた。本にはぜひ載せたいのでお願いメールを書いた。
本そのもののデザイン等についての打ち合わせも進む。提案がいくつか通り、嬉しい。


校正の合間の拾い読みが読書の時間。
蓮實重彦『随想』(新潮社)を買ってきた。久しぶりの蓮實節。是非はともかく、これで文章能力を鍛えられたという人も多いのではないか。村上春樹を巡る内田樹からの批判への反論が書いてあった。これへの内田側からの再反論ってあったっけ。
アマゾンやジュンク堂取り寄せ分も届くが手つかずが多い。


卒論の査読が始まっている。自分のゼミの分は終了。
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# by yoshiaki-hanada | 2010-11-03 00:57 | ●花田の日記

101028 

木枯らしが吹いた今週は、なんやかやと授業関係の行事が多い。

●26日(火):卒論の発表会
残念ながら、良い出来の論文とそうじゃないものとの差が今年も縮まらなかった。
論文とは何か、論文はどういうふうに書けば良いのかをわかりやすく解説するレクチャーもやったのだが、わかるひとはわかる、わからないひとはわからない。来年は別の手を考えたい。

●27日(水):あれやこれや会議。

●28日(木):
・午前中は修士1年の諸君による作品発表会に参加。
これも良い出来のものとそうじゃないものとの差が大きい、いや、大きすぎる。
そこで発した言葉のうち自分でもそうだなと思ったフレーズ(大幅に修正あり)。

<ある原理を視覚的なメディアで表現するのはいいが、自明の原理の表徴に過ぎない表現は退屈である。その表現が新たな原理を暗示しなくてはいけない。原理から表現へではなく、表現から新たな原理へ>

・午後は3年生の実習の中間講評会。
けっこう面白いアイデアが出てきているように思った。
そこで発した言葉のうち自分でもそうだなと思ったフレーズ(若干の修正あり)。

<重要なことは、言葉によるエスキスで掘り進む穴と、空間やモノからのエスキスで掘り進む穴とがぴたりと出会い、ひとつのトンネルが開通するかどうかということだ>

設計をするときに、あるいは建築についての文章を書くときに、やるべきことはこういうことではないだろうか。

・松村本の校正、できたところまでを編集者へ送る。
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# by yoshiaki-hanada | 2010-10-29 00:18 | ●花田の日記

101028 

木枯らしが吹いた今週は、なんやかやと授業関係の行事が多い。

●26日(火):卒論の発表会
残念ながら、良い出来の論文とそうじゃないものとの差が今年も縮まらなかった。
論文とは何か、論文はどういうふうに書けば良いのかをわかりやすく解説するレクチャーもやったのだが、わかるひとはわかる、わからないひとはわからない。来年は別の手を考えたい。

●27日(水):あれやこれや会議。

●28日(木):
・午前中は修士1年の諸君による作品発表会に参加。
これも良い出来のものとそうじゃないものとの差が大きい、いや、大きすぎる。
そこで発した言葉のうち自分でもそうだなと思ったフレーズ(大幅に修正あり)。

<ある原理を視覚的なメディアで表現するのはいいが、自明の原理の表徴に過ぎない表現は退屈である。その表現が新たな原理を発見しなくてはいけない。原理から表現へではなく、表現から新たな原理へ>

・午後は3年生の実習の中間講評会。
けっこう面白いアイデアが出てきているように思った。
そこで発した言葉のうち自分でもそうだなと思ったフレーズ(若干の修正あり)。

<重要なことは、言葉によるエスキスで掘り進むトンネルと、空間やモノから発想しておこなうエスキスで掘り進むトンネルとが、途中でぴたりと出会い、トンネルがつながるかどうかということだ>

設計をするときに、あるいは建築についての文章を書くときに、やるべきことはこういうことではないだろうか。

・松村本の校正、できたところまでを編集者へ送る。
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# by yoshiaki-hanada | 2010-10-29 00:02 | ●花田の日記

101027(月)

今週末も家に籠りきり。松村本の校正だ。
家庭絡みの最小限の外出以外、机にかじりついている。
どーしてこんなに遅いんだろ。
どーしてこんなに博士論文中に誤記があるんだ。
と自己嫌悪に陥りつつ、でも前進するしかない。
レイアウトについては自分なりのイメージが少しずつわいてきた。
思いついたアイデアは編集者にどんどんメールする。
週末には装幀等についての2時間半の長電話。光が見えた。


青木君とのオープンスタジオ、第一段階の提出締切が迫っています

対話編に最後のメッセージも書きました

この企画は今年で最後です。多くの方の応募を待っています。

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# by yoshiaki-hanada | 2010-10-26 01:29 | ●花田の日記

101019(火) エスキスはこんなふうにやっている

家で校正を少しやって大学へ。やっと5分の2くらいまできた。


2時40分からは3年生の実習。今日は僕ひとりの日なので、巡回的エスキス。
エスキスで僕がやっているのは、学生が出してきた「種」を元に、自分が納得できる案やストーリーを組み立てるという作業だ。
しかもできるだけ速く。
「種」はスケッチだったり、言葉の切れ端だったりさまざま。
もちろん、こちらが出す案やストーリーも、スケッチだったり言葉だったりさまざまだ。
いずれにせよ、僕の中で何かが組み立てられていく様子を見せたいので、頭の内部の動きをできるだけ喋って言葉化し、手を動かして絵を描いていく。
しかもまわりにも聞こえるように、声はやや大きめに、身振り手振りも入れながら。
せっかちなので、そっと水を向けるとかヒントを提示するというような気の利いたことが全然できない。
なので、自分ならこう考えるという答えを言う。
教育という面からはよくないのかも、とときどきは思う。
でも、待てないものは待てない。
早い者勝ちのアイデア出しともいえる状況になるから、学生からすれば、逆にどんどん案を失っていくことになる。
だから、もうそれ以上言わないでくれと早々に自分の席に戻り考え始める学生もいれば、僕の案だけは採用せずそれ以上(以外、ではなく、笑)の案を考えたと講評会で言った学生もいる。
素晴らしいことだ、と勝手に思っている。
要するに、エスキスはただ自分のためにやってるんだなあとつくづく思う。

今日、育ったいくつかの「種」。
あまり詳しく書くとそれこそ学生に叱られるので、さわりだけ。
というか、僕にとって面白かったことだけ。

ジョブカフェ(なんていうものがあるんですね。しらなかった)をつくりたいという学生だが、僕にはこれまでどうしても理解できなかった。なぜフィッシュダンスのあの場所なのか。そもそも「空間」の必要性があるのかという点で。でもその学生はとてもこだわる。
ところがいろいろ話しているうちに、ヴィジョンはあるがお金はない人に向けた無料貸しスペースを設け、いずれ恩返しをしてもらうことにしてはどうかということになり、それなら「空間」が必要になる、あの場所にある意味も生まれるよね、となった。
何より、仕事を探す場所のはずなのに、行ってみたらみんなが仕事をしている、そういう意外性が素晴らしい。
そして、自分で言っておいてどこかで聞いたことのある話だなあと思ったら、なんのことはない、昔、青木君と一緒に考えた「サバーバン・ステーション」だと気がついた。
学生諸君は『建築文化』1993年11月号を見て下さい。
職業安定所でもなく、コミュニティセンターでもなく、本当の意味での公共施設を考えようとしたプロジェクト。
皮肉なことに、あれを考えたのがバブルの最後の最後の時期で、それがはじけたあと、今や格差社会とか若い人に仕事がないとかいう不景気な事態が具体化している。仕事とは何か、働くとはどういうことか、空間が公共的であるとはどういう状態か、建築がそういった問題にどう役に立てるのか、そんなことを抽象的に考えたのだが、もはや目先の急務になっている。
「希望」というプロジェクト名にしたらどうかと学生に言ってみた。

★「銭湯」をしたいという案。その前は「チェーン店の寿司屋」だった学生。そういった「ソフト」に疑問を呈するのは簡単なのだが、それより問題なのは「空間」についての提案がないことだ、と攻めていって、ちょうど横にいた学生が見ている商業施設やディスプレイの本を横取りすると、その中にあった天井から吊るされた演劇の舞台装置に目が止まり、たとえばこういうものの下が水面なら面白いのではと提案する。水面の高さも、「舞台」と考え、高くするといいのではないかとさらに提案。脱衣場から洗い場そして湯船の底という具合に、一般の風呂はだんだん床が下がっていく。それを逆にだんだん高くしていくという「空間の方法的操作」を考えれば、湯と人との新しい関係、つまりは新しいビルディングタイプが生まれるじゃないか、と「言葉によるスタディ」を披露。

★まわりの公園は「自由」ですよね、ああいう感じにしたいと学生は言う。空間的なイメージはまだ出ない。なのでエスキスを受けられる状態ではないことはわかってるけどちょっと話だけでも、とかなんとか言う。「自由ねえ」と呟いてみて、「あ、けっこうかっこいいかも」と思う。そういえばさっきは「希望」だった。今度は「自由」だ。
自由といっても、何でもできることが「自由」じゃない、ただでモノが手に入ると「自由」、でもない。逆に、給料の代わりに時間を提供して働くことは本来は不「自由」のはずだけど、仕事の内容とそれをおこなう「空間」によっては「自由」を感じることがある、よね。
「空間」と「自由」の関係を考えてみよう。
金沢21世紀美術館の円環状のロビーは、「自由」の計画論による空間への変換だ。
床仕上げがコンクリートのままなのは、「自由」の素材という視点からのモノへの変換だ。
そんなふうに、あらゆるスケールにおいて「自由」を「空間」化しようと考えれば何か出てくるのではと言うと、ちょっとわかってきたという感じで学生君は自席に戻った。

★ジムという案。
自分の身体との対話をおこなう場所としてのジム、ととらえれば、対話を活性化するためのデザインを考えればよい、と考えられる。
そうすると、身体が空間について一番敏感に感じ取るスケールと素材という視点に注目すればいい、と考えられる。
そうすると、空間のスケールの<小さい〜大きい>という軸と、素材のイメージの<弱い(柔)〜強い(硬)>という軸とを組み合わせみればいいはず、と考えられる。
2軸を組み合わせると、数学のX・Y軸による平面みたいなものができ、そこに4つの象限が生まれ、その中にさまざまな値の空間と素材の組み合わせが見いだせる。
そうすれば、それらを散らせたパッチワークのようなものとして、対話の場がデザインできるのではないか。
もちろんランニングマシーンもエステコーナーも必要だけど、その空間を巡ること自体が身体との対話になる空間、がつくれるのではないか、と考えられる。
という「言葉によるスタディ」を披露。
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# by yoshiaki-hanada | 2010-10-20 00:59 | ●花田の日記