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「学級新聞みたいな新聞」(『室内』1999年11月号)

地方紙の重要性を内田樹が書いている
それで思い出したのが、日土小学校のある愛媛県八幡浜市での経験。
小さな町なのに新聞が3紙も出ていたのだ(今はおそらく2紙)。
そのことを『室内』1999年11月号の「百家争鳴」欄に書いたことがある。
『室内』はもうないし、昔の文章で文体がやや恥ずかしくもあるが、勝手に再録しておきます。
後日、この記事を読んだ東京在住の八幡浜出身の方から、『室内』の読者欄に懐かしいという投稿があった。

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学級新聞みたいな新聞

花田佳明

 7月24日、日本建築学会四国支部50周年記念事業の一環として、愛媛県八幡浜市で、「子どもと学校建築‐松村正恒の作品を通して‐」というシンポジウムが開かれた。松村正恒とは、蔵田周忠や土浦亀城のもとで学んだ後、八幡浜市職員として、昭和30年代、日土小学校などの斬新な木造モダニズム建築を設計した建築家。数年前、「あいつは泣きながらシャッターを切っていた」と噂がたつほど彼の建物に感動した僕は、それ以来、松村研究に入れ込んでいるが、今回はパネラーとして参加し、彼の魅力を喋ってきた。
 松村について知りたい方は、『再読/日本のモダンアーキテクチャー』(彰国社)という本の中の僕の文章でも読んで下さいとちゃっかり宣伝しておくとして、今回紹介したいのはその後日談。シンポジウム終了後、いくつかの地元新聞が記事にしてくれたのだが、そのうちの一紙の話である。
 「八幡濱新聞」という名のその新聞を受け取ったとき、僕は思わず声に出して言ってしまった。「えーっ、こんな新聞あるの!」。B3サイズ1枚きりの日刊紙。薄い紙の両面にびっしりと印刷されている。トップが今回のシンポジウム。「建築家・松村正恒の軌跡しのぶ‐今も全国にファンが…」と大きな活字が踊っている。記事の中に、「…をコーディネーター(調整者)に、パネラー(出場者)は…」という微笑ましい注を見い出して、僕の感激は高まっていく。
 目を移すと、「和気あいあい市民球技大会 800人の参加で快汗」、「朝採り野菜や骨董も 川之内地区初の試み『とうげ市場』」、「一番人気はアジ おさかな牧場初日は1600尾」等の町の話題。「日録 昭和の八幡浜」という連載には、昭和13年7月の市財政、あるいは南米への海外移住の宣伝映画会のことなどが書いてある。その他、エッセイ、4コマ漫画、連載小説、テレビ欄等があり、広告は地元関係ばかりで紙面の約4分の1。
 学生のひとりが、「学級新聞みたいですね」と名言をはいた。同僚の先生にも見せ、ふたりで、「こんな新聞が毎日出てるなんて、日本もまだすてたもんじゃないね」と頷き合った。そんな感想を、新聞を送ってくれた地元のOさんにしたためた。
 するとしばらくして、「その後の掲載記事がありますので、近々お送りします」と彼からのEメール。何だろうと思っていたら、またまた「八幡濱新聞」が送られてきた。開封一番、今度は思わず声を出して笑ってしまった。
 「卓上一言」という、天声人語みたいなコラム欄が、僕らの「…日本もまだすてたもんじゃないね」発言の引用から始まり、あのときのシンポジウムに参加した先生(僕です)から本紙へのお褒めの言葉が届いた 件がびっしりと書いてある。「わが身を褒めるは一のバカ」と自戒しつつも、うちは広告収入に頼る「盆暮新聞」とは違うのだ、地方紙はやはり大事だぞと啖呵のひとつもきってみた、そんな名調子のコラムだった。さらに「二面に関連記事」とあり、裏返すともっと大きな囲み記事。そこに、僕の手紙がファックスでOさんから送られてきたという種明かし。そして、その手紙とシンポジウム記事の一部が再録されていた。
 自分の書いた文章がこんなに喜ばれたのは、生まれて初めての経験である。正直言って、こちらも嬉しくて仕方がない。いったいどんな人が作っている新聞だろう。いずれ編集部を訪ねてみたいと思ったりするが、今は勝手な想像を楽しんでいる。
 なお今回は、「ゴミ処理早期対応・受入れを 関係7町の議長が市に要望書」という見出しの、ダイオキシン削減問題がトップ記事。再び同僚に見せ、「民主主義の原点だよねえ」と頷き合ったのである。
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by yoshiaki-hanada | 2011-10-29 13:06 | ●花田の日記

『設計の設計』の藤村龍至さんの文章について

『設計の設計』(INAX出版)の中の藤村龍至さんの文章中に私のブログへの言及があることに気づき購入した。
私のブログが取り上げられているのは、「「超線形設計プロセス論」への批判的検討」という節(143〜149頁)の中の「花田佳明による批判 — 恣意性の限界2」という部分だ。一読し気になった点が少しあるので書いておきたい。いずれもその内容ではなく、本づくりを巡る初歩的作業と判断に関することばかりだ。

(1)事実誤認
149頁★4に私がアトリエを主宰していると書いてあるが私はそのようなことはしていない。著者あるいは編集者は確認作業をおこなったのだろうか。

(2)奇妙な日本語
「花田佳明による批判 — 恣意性の限界2」の冒頭(143頁)に「花田は・・・批判を述べて下さっています」とあるが、「花田」という敬称を略した表記と「下さる」という敬語の組み合わせは奇妙な日本語である。同様の表現は149頁の★4・★6にもある(「花田は・・・もっておられ」「花田は・・・くださっています」)。単なる日本語の間違いとはいえ、書かれた本人としては気持ちが悪い。
そもそもこのような文章において敬語表現を用いないことは常識だろう。実際、この節における濱野智史氏と松川昌平氏についての言及では、「濱野は・・・と指摘した上で、・・・と言います」とか「松川昌平は・・・として批判する」といったように一般的表記になっている。校正作業の中で、著者も編集者もこの奇妙な日本語に疑問を感じなかったのだろうか。

(3)ウェブサイトに書いた文章へ言及することがもつ問題への配慮の欠如
藤村氏が言及しているのは私が自分のブログに書いた文章である。私が勤務する神戸芸術工科大学でおこなわれた彼の講演会の前後に、ブログで藤村氏の文章を分析したものだ。そこからいくつかのフレーズが引用され藤村氏が反論等をおこなっている。
たしかにURLが明記してあるので読者は私の文章を読むことはできる。しかしこうやって引用されてみると、わざわざこのURLをパソコンに打ち込み私の文章を読む人がどれほどいるだろうかと考え込まざるをえない。
もちろん、書物からの引用であっても読者が原典を見るかどうかわからないという意味では同じである。だから私が気にするのはそのことではない。
「10+1」のウェブサイトに掲載されていたときなら、私のブログのURLにはリンクが張られクリックするだけで読むことができた。したがって、議論も一定のバランスの中で成立していただろう。しかしURLを示す記号は書籍化された途端にリンクが切れ、ただの文字になってしまう。その際に生じるアクセスへの意志と機会そして情報量の圧倒的な減少についての配慮が全くないことが気になるのだ。原文の一部掲載等、いろいろな工夫があったはずだ。ウェブサイトの文章を書籍へと固定化する際に生じる問題について、著者と編集者は何かを考えたのだろうか。
ちなみに、松川氏については本書の中に収められた文章への言及だが、濱野氏についてはウェブサイト掲載の文章への言及であり、私と同じ問題がある。

(4)そもそもなぜ「「超線形設計プロセス論」への批判的検討」という節が必要なのか
藤村さんの言う「超線形設計プロセス」について私がブロブで指摘した内容は、本書に書かれた彼の「超線形設計プロセス」に関する文章においては言及も反映もされていない。ならばどうして「花田佳明による批判 — 恣意性の限界2」という項をわざわざ別に設ける必要があったのだろう。採用に値しない内容だと判断した言説なら無視すればよいだけのことである。学会等の投稿論文査読において「条件付き採用」とか「要再査読」になったのとはわけが違う。どのような論理的欠陥を指摘されようとも、著者が正しいと思う主張を書けばよいだけのことだ。濱野氏と松川氏からの指摘についても同様の扱いがなされている。したがって、「「超線形設計プロセス論」への批判的検討」という節をわざわざ設けた著者と編集者の考え方が私には理解できない。

繰り返すが、以上指摘したことはすべて、書かれた文章の内容ではなく、本づくりにおける初歩的作業と判断に関する問題ばかりだ。余計なひと言になるが、藤村さんと編集者は、この文章に関する限りもう少し丁寧な仕事をすべきだったと私は思う。「内容」についての感想は、藤村さんが言及した私の以下の2つのブログ記事ですでに述べたことから特段の変化はない。お読みいただければ幸いです。

勉強会で考えたこと(2010年7月4日)
その後考えたこと(2010年7月9日)
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by yoshiaki-hanada | 2011-10-01 15:52 | ●花田の日記