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110529(日) 松村展、その後。

27日(金)は松村展の2回目のイベント、青木淳君との対談だった。

13日には日土小学校の保存再生メンバーによってその活動の全体像を報告し、松村正恒についての紹介も僕からおこなったのだが、今回はそれをさらに詳しく話し、青木君の力を借りて現代的な位置づけもおこなおうというねらいである。

どんなふうにやろうかと青木君に事前相談のメールをしたところ、「松村正恒の建築のどこがおもしろいか?それが、いま、どんな意味があるか?しか話すことないんじゃない?前もって話す内容、決まっているとつまらない。思わぬ展開を楽しみたいです」というお返事。
おっしゃる通りでどうしようかと慌てたが、よくよく考えてみれば、それへの僕の答えが『建築家・松村正恒ともうひとつのモダニズム』なんだと思い出し(こういうことを案外と忘れる)、その「結論」の部分をまとめたプレゼをキーノートで再編集した。本当は僕の本を全員が読んで下さった上でいきなり質疑応答や議論をするのが建設的なのだが(笑)そうもいかない。

会場を見渡すと、来られた方は13日とは顔ぶれがあまり重なっていない印象で、今回の方が若い人が多いと感じたのはやはり青木君効果か。

まず僕が50分くらい話し、次に青木君が「花田の話は長いねえ」と言いつつ、彼が撮った再生工事完了後の日土小学校の細部の写真を使ってその空間の印象を決定しているものについて30分くらい話した。以前松山で最初に青木君からこういう日土小学校の見方を教わったが、今日も感心。モノを作る建築家ならではの批評であり、青木君以外の建築家ではなかなか話せない内容だと思う。おそらくこういう視点でモダニズム建築を現代建築家が語るのは珍しいだろうし(初めてでは?)、会場に来られた方はとても新鮮な体験だったに違いない。

その後二人でいろいろと話した。

僕としては、結論としてこんなことを言った(つもり)。
・松村の建築は、きわめて優れた文脈的解答に、非文脈的・自律的な設計手法によって到達した。
・松村の建築は、特定の意味を纏うことを拒否することに成功した。
・松村は、<建築から作品性や作家性を排除しても建築を成立させることができる。たとえばそこに残るものは物語性のようなものだ>ということを示した。
・日本のモダニズムの巨匠たちによる行為は基本的には「翻訳」だが、松村はそれ以外の道を実践した。云々

青木君は日土小学校のモノの扱いに見られる「ザッハリッヒな」特徴を解説したあと、自分は日土小学校みたいなデザインもできるしそうじゃないこともできるというので、それぞれ何なのとつっこむと、前者は「青森、馬見原、御杖」、後者は「ヴィトン」という答えで、激しく同意した次第。
そうだろうなあ、よーくわかります。
(なお、青木君はまさにそういうことを示す自作の写真を用意してきてくれていたのですが、パソコンソフトの関係で日土小学校の写真だけの上映になりなりました。青木君と会場の皆さんすみませんでした)

結論としては、松村は建築における「<表現>しないこと」によって優れた建築を作ることに成功した希有な建築家である、というようなことで意見が一致したという感じではないだろうか。

なお、ここに書いても仕方ないかもしれませんが少し補足しておきたいのは、話題になった色彩のことである。日土小学校あるいは松村建築一般には賑やかな色使いがあって特徴的という話をしたが、特殊ケースという言い方をしすぎたかもしれない。会場から土浦亀城に詳しい田中厚子さんから指摘があったように、土浦建築にも色彩は多いしモダニズム建築と呼ばれるもの一般でもさまざまな色が使われている。
僕としても決して松村だけが色彩を使ったというつもりはなかったのだ。ただ日土小学校における長大な水平連続窓の枠全体がピンク色とか、淡い緑色とピンク色の組み合わせとかは、アクセントとして色を入れましたというのとは違い、エロティックな雰囲気すら漂う感じがするので、僕の言葉でいえば「総体性」を強化しているような気がしたということである。もう少し考えてみます。
また青木君から、松村研究は今後どうするのと問われうまく答えられなかったが、彼の作品集あるいは図面集が出せたらいいなあという夢はある。「研究」とは違うが、そんな企画をどこかで実現したい。
会場には植田実さんも来て下さり、『無級建築士自筆年譜』を作った頃のお話などをしていただいた。

会期は6月3日までです。
まだの方はぜひご覧下さい。
何しろ、建築の展覧会としてとても面白いと思います。
嬉しいことに大阪展も12月には実現できそうな気配です。
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by yoshiaki-hanada | 2011-05-29 21:32 | ●花田の日記

110529 松村展の紹介記事

13日の松村展について、朝日新聞と読売新聞に記事が出たので紹介しておきます。
いずれもウェブ上で読むことができます。

朝日新聞5月25日(夕刊)の大西若人さんによる記事

読売新聞5月26日の朝刊
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by yoshiaki-hanada | 2011-05-29 18:19 | ●花田の日記

110519 日常業務

松村展の最初のシンポが終わり少しほっとした。
その後、シンポへの感想をツイッターに書いて下さった方とのメールのやりとりができた。
『建築文化』1994年9月号の特集「戦後近代建築との対話」に書いた僕の最初の松村論「モダニズムというノスタルジア 松村正恒の残したもの」を学生時代に読んだのが日土を知ったきっかけということで、記憶が一気に17年前に遡り不思議な気分になると同時に、自分が書いたものがきっかけでこんなつながりができる喜びにも浸った次第。
実は松村さんのことを調べ始めてから、こういう経験がとても多い。

月・火・水と、いつになく学生諸君のいろいろな相談にのる機会が多かった。
卒論、修論、就職、進学。当たり前だがみんな悩んでいる。
その他、講義、実習、修論(修士制作)の進捗状況の発表会。
修論については「悩んでいる」では説明のつかない状況の人が多い。言いたいことはいっておいた。もっと深く言葉で考えてほしい。

どういうわけか夏目漱石が読みたくなって、電車の中や寝床でちびちびと読んで「三四郎」をやっと読了。もちろん以前に読んではいるが、この歳になってゆっくり読むととても面白かった。けっこうユーモラスな表現も多いように思え、今でいうと村上春樹の文章のような感じではなかったかなんて、全くの素人考えも浮かんだ。次は「それから」だ。それにしても漱石が死んだのは49歳のとき。僕はもうそれより6歳も年上だと思い当たりがっくりする。

八束さんの『メタボリズム・ネクサス』(オーム社)、加藤道夫『ル・コルビュジエ 建築図が語る時間と空間』(丸善出版)も急がなくては。加藤さんは広部研の先輩だ。
高橋源一郎『さよなら、ニッポン』(文藝春秋社)も読みたいな。
少し前に読んだ小熊英二の『私たちはいまどこにいるのか 小熊英二時評集』(毎日新聞社)はとてもわかりやすく、小熊さんの仕事のサマリーになっている。学生諸君、必読。
あ、シンポの帰りに買って新幹線の中で読んだ『想い出の作家たち』(文春文庫)も面白かった。文士という言葉が生きていた時代の作家の日常生活を家族が語った貴重な記録。登場するのは、子母澤寛、江戸川乱歩、金子光晴、尾崎士郎、今東光、海音寺潮五郎、横溝正史、山本周五郎、井上靖、新田次郎、柴田錬三郎、五味康祐、立原正秋。どの人のエピソードも実に破天荒で、しかしどこかユーモラスで憎めない。貧しい戦前の文士の暮しや、売れっ子になったあとの激変ぶりが面白い。何より、そういいたことを話す妻や子どもの語り口が素晴らしい。家族とか夫婦とかの本来的な姿があるようにさえ思う。
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by yoshiaki-hanada | 2011-05-19 01:25 | ●花田の日記

110515 シンポジウムの反響

上記のシンポジウムについて、さっそくいくつかの嬉しい反応を見つけた。
書いて下さった皆さんありがとうございます。勝手に引用しますがご容赦を。

「NUKATANI, Sorahiko」さんのツイッターから。
松村正恒や日土小学校からモダニズム建築のもうひとつの可能性への解釈と、今回の展覧会が東京でおこなわれたことの位置づけを、まさに僕が思っていたことと全く同じ内容でしていただいていて驚きました。
プロフィールを拝見するとコンピュータの専門家の方のようでさらにびっくり。
しかも、『建築文化』の1994年9月号の「戦後近代建築との対話」という特集に僕が初めて書いた松村論「モダニズムというノスタルジア」を読んでいただいていたとのことで感慨深い。
会場で声をかけていただけると嬉しかったのだが。残念。

                  *
「「日土小学校と松村正恒」展 http://bit.ly/i2GFZK とシンポジウムに行ってきた。企画者の愛が溢れた、素晴らしい展示。100円のパンフレットも破格の出来栄え。入場無料なので、一人でも多くの人に見てほしいと思う(日・祝休館なのが残念だけど)」

「日土小学校は今から半世紀以上前に愛媛県八幡浜市に作られた「木造モダニズムの傑作」と呼ばれる建築。どんな建物かは、このPDFの3ページ目 を見てもらうのが一番早い。図書室から川に張り出したベランダで読書できる学校なんて、そうそうない。」

「あるいは、この写真 日頃建築に興味がなくても、思わず惹きこまれる人があるのではないかと思う。廊下に、教室に、溢れる光。風が通り抜けていく空間。ちょっとしたベンチや、棚や、洗い場の飾らない佇まいにひそむ、作り手の細やかな思いやり。」

「松村正恒は(吉阪隆正・象設計集団とならんで)僕がもっとも好きな自国の建築家だ。出会いは『建築文化』誌の94年9月号。大学帰りの図書館で、ふと手にした「戦後近代建築との対話」という特集に出ていた日土小学校の写真に、強烈に惹かれた。建築に漠然と感じていた魅力の核心がそこにあった。」

「「モダニズムというノスタルジア」と云う題の記事を執筆していたのは、今回のシンポジウムにも参加していた花田佳明氏。今年『建築家・松村正恒ともうひとつのモダニズム』という大著を出版された。困難を乗り越えて見事に再生した日土小の話を、あの文章を書いた方から伺うのは、感慨深かった。」

「花田氏が触れているように、日土小学校の空間には不思議な「懐かしみ」がある。半世紀以上経った今だからという訳ではなく、建って10年も経たない1967年、既に「ここで小学校の日々を送ったような錯覚にとらわれ」「遠い幼い日のノスタルジアが立ち込めてくる」という言葉が捧げられている。」

「この「体験したことがないのに懐かしい」感覚については、恐らく建築の言葉で対象の空間を分節していっても、ある一線を越えて迫る事が出来ないのではないかと思う。それは建築論の限界というより、対象が空間以前の段階、或いは空間を体験した後の心的影響の領域に属しているからではないか」

「僕はむしろ児童文学の世界こそが、この感覚に迫るための豊富な語彙を持っているように思う。日土小学校を、松村正恒という作家が著した「空間による児童文学」と考えることで、その本質がより豊かに見えてくるのではないだろうか。」

「松村正恒は書く。「わたしは、小学校をつくるとき、まず子供になったつもりでプランを考えはじめるのです(…)ふとんのなかで目をつむる、子供に変身する、童心にかえる。学校のなかを走りまわる、座ってみる、変化と感動を探り出す(…)学校のかたちが現れる。歓声が聞こえてきます。」」

「この建築家の言葉からは、優れた児童文学作家の創作における態度と、多く共通するものを見出すことができると思う。子供になるということは、自分の幼時の記憶の中に分け入っていくということだ。取り出されるものが言葉であれ、空間であれ、探求が深ければ深いほど、それは普遍的な相貌を帯びる。」

「「(…)何かがつたわってくる。静けさのような、落ち着きとか、やわらかさとか、雰囲気のようなものがね。空間の香りといってもいいかもしれない(…)わたしは、そういうかたちだけではない、こころとでもいっていいようなものを学校建築にこめたかったのです。」」

「優れた児童文学に共通する点のひとつは、それらが空間的な描写において徹底して具体的かつ緻密であろうとする、という事だろう。たとえばランサム・トールキン・ピアス・佐藤さとる。映像においては宮崎駿。これは子どもと世界の関わりが、対人関係のみならず、外界の探検によっても行われるからだ。」

「自らの幼年時代の記憶を再現しようとするならば、作家はおのずとその空間的感性を最大限に研ぎ澄まして、子どもを取り囲む奥行きを持った世界を文章(映像)の中に再現すべく苦闘する事になる。その想像力の用い方は、ある段階に至るまでは「空間設計」や「建築」に関わるものと未分化なのだと思う。」

「本の場合、たとえ絶版になっても、図書館にある限りは読み継がれていく可能性がある。だが建築は一度壊されてしまうと、永遠にそれを「読む」手段が失われてしまう。日土小学校はここ数年、保存と取り壊しの間で地域を二分する議論があり、一度は存続が絶望的な状況まで陥っていたらしい。」

「地域の人々と行政と専門家のチームワークに幾度かの幸運が重なり、重要文化財を目指す形での修復と増築が成ったのが2009年。結果として、建築的な価値の回復と校舎としての機能向上が両立する、奇跡的な事例となった。シンポジウムで聞いたその経緯だけでも、映画が一本出来そうな感じだ。」

「保存に向けた大人たちの苦闘が、どのような形で結実したか。それは今回の展示のそこここにある、現在の日土小学校の大きな写真を見れば一目瞭然だ。そして在校生による「わたしの好きな場所」を描いた絵と言葉の展示。この校舎が想定した使い手たちに心から愛されている事が、じんじんと伝わってくる。」

「「ベランダに出ると、川がきらきらして、きれいです。こんなふうけいを見ているとこころがぽかぽかしてきます。」「ぼくはこの階段を気に入っています。」「とても静かだけど、本に囲まれていて、明りは、ランプがあって、とてもおちついている場所です。鳥の鳴き声も聞こえてきます。」」

「このような建築が、一方で「モダニズムの傑作」と呼ばれていることは、ある可能性を指し示しているように思う。近代(モダン)の産物を打ち捨てるのではなく、近代の中にある失われた可能性を今一度緻密に検証し、改めて辿りなおすことの中にこそ、未来への鍵があるのではないか、ということだ」

「これ自体はずいぶん前から言われていることだ。しかし近代社会を可能ならしめたサイエンスもエンジニアリングも、それらが行き詰ったとか、訣別すべきとか云う、ある意味他人事な議論が全く通用しなくなった今という時期にこそ、賢明に活かし共存していく事へのヒントを必死に探す必要があると思う。」

「松村正恒展が答えそのものだとまでは流石に云う気はないが、少なくともこの地方の一校舎にまつわる展示がいま、この国の首都で行われている事には、建築業界の中のみにとどまらぬ意味があり、多様な立場と興味を持つ人々が「これから」について考える上でのヒントが存在していそうだ、とは云える。」

「ト、いたづらに千言、万言を費やすより、百聞は一見に如かず。6月3日まで、東陽町の竹中工務店ギャラリーA4にて。お薦めです。」
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「Daisuke Kawajiri」さんのツイッター。松村本の編集者です。

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「八幡浜市立日土小学校と松村正恒展観賞。昨夜のシンポジウムは再生なった木造校舎の保存復元と改修増築(と改築)プロセスについて。地元設計者/研究者/教育委員会スクワッドの辛抱強い活動が最悪の境遇から最高の保存事例へ導いたプロジェクトの報告に落涙」
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by yoshiaki-hanada | 2011-05-15 12:12 | ●花田の日記

110514 松村展のシンポジウム

13日(金)は、東京のギャラリーA4で開かれている「八幡浜市立日土小学校と松村正恒展」のシンポジウムで上京。
10年以上にわたり地元でのまとめ役を勤めた愛媛大学の曲田清維先生、八幡浜市の教育委員会においてぶれのない判断を維持してくださった梶本教仁さん、既存部の改修の設計を担当した建築家の和田耕一さん、そして私がパネリストになり、会場には新西校舎の設計を担当した建築家の武智和臣さんも控え、全員でこのプロジェクトの全体像をお話しした。理論的なことかから現実的なことまで、十分にわかっていただけたのではないかと思います。
展覧会も素晴らしい構成だった。
会場にはいろいろな方が来て下さり嬉しかったが、博士論文や本を書く途中で知り合い直接お目にかかるのは初めてという方もあり感激した。

1994年に松村正恒の建築と初めて出会ってから17年。
こんな展覧会やシンポジウムが開かれるなんて夢みたいだ。

次は27日に私と青木淳君による講演会をおこないます。


会場入り口。左のパネルの右端に「開館」と書かれた木の札がぶら下がっているのをお見逃しなく。日土小学校の図書室で使われていたものです。
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正面にある模型は東大の腰原研でつくった軸組模型。
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大きな写真や実物の家具で教室が再現してあります。
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左側の窓が実物では川側です。
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実際に日土小学校の中を歩いているような気になる会場構成です。
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矩計図が壁になっています!
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昇降口を原寸で再現!
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神戸芸工大でドコモモ展のときに造った模型も出品しています。
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日土小学校の子どもたちが描いた絵と文章も展示してあります。
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松村の勉強ノートやいろいろな手紙等の資料も展示。
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子どもたちが使っている様子もたくさんの写真でレポート。
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by yoshiaki-hanada | 2011-05-15 02:23 | ●花田の日記

110509

しばらく更新ができませんでした。
というのも、私事で恐縮ですが、4月20に私の母親が亡くなり、慌ただしくしていたからです。いろいろな初めての体験と感情に襲われましたが、やっと少し落ち着いてきました。連休前に一旦大学に復帰し、連休明けの本日からが本番です。しかしここ4か月ほどの奔走からくる虚脱感が残ったまま。ブログでも再開し、体制を立て直す一助にしようと思った次第です。

とりあえず、僕が関わっていることについてのお知らせをいくつか書きます。

(1)竹中工務店のギャラリーA4での「八幡浜市立日土小学校と松村正恒展」関係。

 ●シンポジウム「日土小学校の保存と再生」は予定通りおこないます。
    5月13日(金)18:30〜20:00
    講師/鈴木博之 花田佳明 曲田清維 梶本教仁 和田耕一
    日土小学校の保存再生について愛媛の皆さんとともに詳しくご報告します。

 ●中止になった講演会「松村正恒の思想」が復活することになりました。
    5月27日(金)18:30〜20:00
    講師/花田佳明 青木淳
    松村正恒について、13日には話しきれないことを詳しくご紹介します。
    青木君の松村解釈も楽しみです。

(2)南洋堂書店で4月23日に予定していたレクチャーは、上記のような私の事情で急遽中止させていただきました。応募して下さった方々にお詫び申し上げます。現在、少し内容を調整して復活させていただく可能性が出ています。日程等決まればお知らせします。

(3)僕の『建築家・松村正恒ともうひとつのモダニズム』(鹿島出版会)について、植田実さんが今月の『コンフォルト』6月号に書評を書いて下さいました(P.152)。1頁にわたる長いもので、感激!のひと言の内容です。装幀についてほめていただいたのも嬉しくてたまりません。

(4)『住宅建築』6月号と『日経アーキテクチュア』5月10日号にも紹介されました。後者には、「651ページ。この量を書く方も書かれる方もすごい」とありました(苦笑)。

(5)学科の同僚とやってきた設計教育とそれに基づいてつくった教科書『初めての建築設計 ステップ・バイ・ステップ』(彰国社)が、今年の日本建築学会教育賞をとりました。講評はこれです。
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by yoshiaki-hanada | 2011-05-10 00:29 | ●花田の日記