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101028 

木枯らしが吹いた今週は、なんやかやと授業関係の行事が多い。

●26日(火):卒論の発表会
残念ながら、良い出来の論文とそうじゃないものとの差が今年も縮まらなかった。
論文とは何か、論文はどういうふうに書けば良いのかをわかりやすく解説するレクチャーもやったのだが、わかるひとはわかる、わからないひとはわからない。来年は別の手を考えたい。

●27日(水):あれやこれや会議。

●28日(木):
・午前中は修士1年の諸君による作品発表会に参加。
これも良い出来のものとそうじゃないものとの差が大きい、いや、大きすぎる。
そこで発した言葉のうち自分でもそうだなと思ったフレーズ(大幅に修正あり)。

<ある原理を視覚的なメディアで表現するのはいいが、自明の原理の表徴に過ぎない表現は退屈である。その表現が新たな原理を暗示しなくてはいけない。原理から表現へではなく、表現から新たな原理へ>

・午後は3年生の実習の中間講評会。
けっこう面白いアイデアが出てきているように思った。
そこで発した言葉のうち自分でもそうだなと思ったフレーズ(若干の修正あり)。

<重要なことは、言葉によるエスキスで掘り進む穴と、空間やモノからのエスキスで掘り進む穴とがぴたりと出会い、ひとつのトンネルが開通するかどうかということだ>

設計をするときに、あるいは建築についての文章を書くときに、やるべきことはこういうことではないだろうか。

・松村本の校正、できたところまでを編集者へ送る。
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by yoshiaki-hanada | 2010-10-29 00:18 | ●花田の日記

101028 

木枯らしが吹いた今週は、なんやかやと授業関係の行事が多い。

●26日(火):卒論の発表会
残念ながら、良い出来の論文とそうじゃないものとの差が今年も縮まらなかった。
論文とは何か、論文はどういうふうに書けば良いのかをわかりやすく解説するレクチャーもやったのだが、わかるひとはわかる、わからないひとはわからない。来年は別の手を考えたい。

●27日(水):あれやこれや会議。

●28日(木):
・午前中は修士1年の諸君による作品発表会に参加。
これも良い出来のものとそうじゃないものとの差が大きい、いや、大きすぎる。
そこで発した言葉のうち自分でもそうだなと思ったフレーズ(大幅に修正あり)。

<ある原理を視覚的なメディアで表現するのはいいが、自明の原理の表徴に過ぎない表現は退屈である。その表現が新たな原理を発見しなくてはいけない。原理から表現へではなく、表現から新たな原理へ>

・午後は3年生の実習の中間講評会。
けっこう面白いアイデアが出てきているように思った。
そこで発した言葉のうち自分でもそうだなと思ったフレーズ(若干の修正あり)。

<重要なことは、言葉によるエスキスで掘り進むトンネルと、空間やモノから発想しておこなうエスキスで掘り進むトンネルとが、途中でぴたりと出会い、トンネルがつながるかどうかということだ>

設計をするときに、あるいは建築についての文章を書くときに、やるべきことはこういうことではないだろうか。

・松村本の校正、できたところまでを編集者へ送る。
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by yoshiaki-hanada | 2010-10-29 00:02 | ●花田の日記

101027(月)

今週末も家に籠りきり。松村本の校正だ。
家庭絡みの最小限の外出以外、机にかじりついている。
どーしてこんなに遅いんだろ。
どーしてこんなに博士論文中に誤記があるんだ。
と自己嫌悪に陥りつつ、でも前進するしかない。
レイアウトについては自分なりのイメージが少しずつわいてきた。
思いついたアイデアは編集者にどんどんメールする。
週末には装幀等についての2時間半の長電話。光が見えた。


青木君とのオープンスタジオ、第一段階の提出締切が迫っています

対話編に最後のメッセージも書きました

この企画は今年で最後です。多くの方の応募を待っています。

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by yoshiaki-hanada | 2010-10-26 01:29 | ●花田の日記

101019(火) エスキスはこんなふうにやっている

家で校正を少しやって大学へ。やっと5分の2くらいまできた。


2時40分からは3年生の実習。今日は僕ひとりの日なので、巡回的エスキス。
エスキスで僕がやっているのは、学生が出してきた「種」を元に、自分が納得できる案やストーリーを組み立てるという作業だ。
しかもできるだけ速く。
「種」はスケッチだったり、言葉の切れ端だったりさまざま。
もちろん、こちらが出す案やストーリーも、スケッチだったり言葉だったりさまざまだ。
いずれにせよ、僕の中で何かが組み立てられていく様子を見せたいので、頭の内部の動きをできるだけ喋って言葉化し、手を動かして絵を描いていく。
しかもまわりにも聞こえるように、声はやや大きめに、身振り手振りも入れながら。
せっかちなので、そっと水を向けるとかヒントを提示するというような気の利いたことが全然できない。
なので、自分ならこう考えるという答えを言う。
教育という面からはよくないのかも、とときどきは思う。
でも、待てないものは待てない。
早い者勝ちのアイデア出しともいえる状況になるから、学生からすれば、逆にどんどん案を失っていくことになる。
だから、もうそれ以上言わないでくれと早々に自分の席に戻り考え始める学生もいれば、僕の案だけは採用せずそれ以上(以外、ではなく、笑)の案を考えたと講評会で言った学生もいる。
素晴らしいことだ、と勝手に思っている。
要するに、エスキスはただ自分のためにやってるんだなあとつくづく思う。

今日、育ったいくつかの「種」。
あまり詳しく書くとそれこそ学生に叱られるので、さわりだけ。
というか、僕にとって面白かったことだけ。

ジョブカフェ(なんていうものがあるんですね。しらなかった)をつくりたいという学生だが、僕にはこれまでどうしても理解できなかった。なぜフィッシュダンスのあの場所なのか。そもそも「空間」の必要性があるのかという点で。でもその学生はとてもこだわる。
ところがいろいろ話しているうちに、ヴィジョンはあるがお金はない人に向けた無料貸しスペースを設け、いずれ恩返しをしてもらうことにしてはどうかということになり、それなら「空間」が必要になる、あの場所にある意味も生まれるよね、となった。
何より、仕事を探す場所のはずなのに、行ってみたらみんなが仕事をしている、そういう意外性が素晴らしい。
そして、自分で言っておいてどこかで聞いたことのある話だなあと思ったら、なんのことはない、昔、青木君と一緒に考えた「サバーバン・ステーション」だと気がついた。
学生諸君は『建築文化』1993年11月号を見て下さい。
職業安定所でもなく、コミュニティセンターでもなく、本当の意味での公共施設を考えようとしたプロジェクト。
皮肉なことに、あれを考えたのがバブルの最後の最後の時期で、それがはじけたあと、今や格差社会とか若い人に仕事がないとかいう不景気な事態が具体化している。仕事とは何か、働くとはどういうことか、空間が公共的であるとはどういう状態か、建築がそういった問題にどう役に立てるのか、そんなことを抽象的に考えたのだが、もはや目先の急務になっている。
「希望」というプロジェクト名にしたらどうかと学生に言ってみた。

★「銭湯」をしたいという案。その前は「チェーン店の寿司屋」だった学生。そういった「ソフト」に疑問を呈するのは簡単なのだが、それより問題なのは「空間」についての提案がないことだ、と攻めていって、ちょうど横にいた学生が見ている商業施設やディスプレイの本を横取りすると、その中にあった天井から吊るされた演劇の舞台装置に目が止まり、たとえばこういうものの下が水面なら面白いのではと提案する。水面の高さも、「舞台」と考え、高くするといいのではないかとさらに提案。脱衣場から洗い場そして湯船の底という具合に、一般の風呂はだんだん床が下がっていく。それを逆にだんだん高くしていくという「空間の方法的操作」を考えれば、湯と人との新しい関係、つまりは新しいビルディングタイプが生まれるじゃないか、と「言葉によるスタディ」を披露。

★まわりの公園は「自由」ですよね、ああいう感じにしたいと学生は言う。空間的なイメージはまだ出ない。なのでエスキスを受けられる状態ではないことはわかってるけどちょっと話だけでも、とかなんとか言う。「自由ねえ」と呟いてみて、「あ、けっこうかっこいいかも」と思う。そういえばさっきは「希望」だった。今度は「自由」だ。
自由といっても、何でもできることが「自由」じゃない、ただでモノが手に入ると「自由」、でもない。逆に、給料の代わりに時間を提供して働くことは本来は不「自由」のはずだけど、仕事の内容とそれをおこなう「空間」によっては「自由」を感じることがある、よね。
「空間」と「自由」の関係を考えてみよう。
金沢21世紀美術館の円環状のロビーは、「自由」の計画論による空間への変換だ。
床仕上げがコンクリートのままなのは、「自由」の素材という視点からのモノへの変換だ。
そんなふうに、あらゆるスケールにおいて「自由」を「空間」化しようと考えれば何か出てくるのではと言うと、ちょっとわかってきたという感じで学生君は自席に戻った。

★ジムという案。
自分の身体との対話をおこなう場所としてのジム、ととらえれば、対話を活性化するためのデザインを考えればよい、と考えられる。
そうすると、身体が空間について一番敏感に感じ取るスケールと素材という視点に注目すればいい、と考えられる。
そうすると、空間のスケールの<小さい〜大きい>という軸と、素材のイメージの<弱い(柔)〜強い(硬)>という軸とを組み合わせみればいいはず、と考えられる。
2軸を組み合わせると、数学のX・Y軸による平面みたいなものができ、そこに4つの象限が生まれ、その中にさまざまな値の空間と素材の組み合わせが見いだせる。
そうすれば、それらを散らせたパッチワークのようなものとして、対話の場がデザインできるのではないか。
もちろんランニングマシーンもエステコーナーも必要だけど、その空間を巡ること自体が身体との対話になる空間、がつくれるのではないか、と考えられる。
という「言葉によるスタディ」を披露。
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by yoshiaki-hanada | 2010-10-20 00:59 | ●花田の日記

101017(日) あーせー校正とあせるばかり 


週末からずっと松村本の校正。
夕食後20分くらいウォーキングに出るだけで、あとは部屋にこもっている。
催しの多い季節だが、出不精がさらに重症化。
最終的に600頁を超えるはずの本なので、その一言一句をチェックするのは大変である。
2段組みの「本」の体裁になって初めて文章のリズムがつかめてくる。
なので、句読点や文末の調整がけっこう多い。
引用元にもすべて当たるから時間はどんどん過ぎていく。
写し間違いもけっこうあり、情けない。
博士論文はあちこち配ったのだが、恥ずかしくなる。
なので本になったら買って下さいねとは本末転倒だが、とにかくこれが最後の訂正の機会と自分に言い聞かせるしかない。
もうひとつ次の段階があるとはいえ、図や写真の大きさやレイアウトも考えながらの作業となる。
それがまた悩ましい。


3年生の実習で学生のエスキスをしたり、非常勤の香川さんと笹岡さんのお話を聞いたりしていると、「インテリア」デザインとは何かということをいろいろ考える機会になり面白い。
メリケンパークの「フィッシュダンス」まわりの施設のリノベーション課題です。
他に建築とアーバンデザインの課題もあり、全部で3チームに分かれているので、20数名の学生が相手。
通常よりは少ないので、少しゼミ的にしようと思い、実習後に思ったことを一斉メールしたり、実習の最初と最後に集合をかけたりと、いつもと違うやり方も試みている。
ちなみに、今週送ったメールは以下の通りです。
すべては「建築」だと言うのは簡単ですが、あえて「インテリア」を「建築」から切り離してみようとするときに見えるものが、逆に「建築」を変えるのでは、というようなシナリオですが、さて。
「大きい」「小さい」って、案外キーワードかもと思い始めた。
関係ないけど、そういえば子供が小さいとき、毛利子来先生の『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』という育児雑誌を買ってたなあ。
あ、「強い」「弱い」も建築とインテリアを考えるときのキーワドだ。
もちろん、「何が」大きいのか小さいのか、「何が」強いのか弱いのかとまじめに考えるとカテゴリーは明らかに混乱してはいるのですが・・・。

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・香川・笹岡両先生を迎えた10月14日(木)は、皆さんにとって得るものが多いエスキスだったのではないでしょうか。
3限開始とともに一旦集合してその日の予定を確認し、エスキスや各自の作業にはいり、5限終了時に再度集合して、各教員から注意事項等を話すというやり方をしてみましたが、これまでの実習と違い少人数なので、効果的だったように感じました。
また、他の人のエスキスを何人かが一緒に聞くというのも意識的にやってもらいましたが、これも効果的でした。
当面、こういうやり方を続けたいと思いますので、13時までにスタジにはいり、5限終了まで集中して作業をする癖をつけて下さい。

・皆さんと対話し、案を考え、香川・笹岡先生の話を聞いていると、今回の課題の意味が自分でもだんだんわかってきたような気がしました。
当然といえば当然なのですが、これまでの実習の中心にあった「建築」的な操作ではなく、いわばそれよりも「小さな」操作によって空間を変容させる実験なんだというわけです。何しろすでに「建築」はあるのですから。

・そう考えると、テナントや運営ソフトだけからでは絶対に答えが出ないこともわかります。なぜならば、それらは「建築」より「大きい」、少なくとも「小さくはない」からです。

・家具や棚のデザイン、間仕切りの平面パターン、照明や開口部による光の操作、建具や開口部による空間相互の関係の操作、仕上げ材料による空間の質の操作、そういったものを手がかりに場を生み出すことを、意識的に自分に課してみて下さい。

・そして、先日香川先生もおっしゃったように、そこに何らかの「方法」を見いだしてほしい。
「一枚の布で空間を仕切る」とはよく聞く表現だけど、もしも「一枚の布」の厚みが10センチあったらどうだろう。おそらく、そこにはこれまで見たことのない質の空間が生まれます。「小さな」操作が「方法」的であるとは、たとえばそんなことだと思います。
そういう新しい空間ができてこそ、そこに新しい出来事が発生する可能性も生まれてくる。そして初めて、その空間にふさわしいテナントやソフトのイメージが決まってくる。

具体的なスケッチ、平立断面、模型、いろいろ作って火曜日に見せて下さい。
「こんな感じ」と思う事例を集めるのも大切です。
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明日・月曜日は卒論の提出日。みんな頑張れ。
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by yoshiaki-hanada | 2010-10-18 00:45 | ●花田の日記

101011 校正校正

●松村正恒本の校正が遅々として進まない。
とんでもない作業だということがわかってきた。
引用部分を写し間違えてないか再確認する必要もあり、慎重になるから、ついいろいろと調べもし、校正速度は一気に下がる。
情けない話だが、もとの博士論文には書き間違いもいろいろと見つかってくる。
ただしお陰で、ネットでもあれこれ確認作業をやっていると、関連ある初めてのサイトに出会ったりする。
今日も、蔵田周忠関係で収穫あり。
連絡を入れてみようかな。

●情けないことに、集中力が続かない。
1日13時間、はとても達成できず。
すぐにネットへ逃避。
ツイッターもいろいろ覗く。
ほんとにすごいなあ。
少し前までなら一対一のメールで書いていたような内容が公開されている。
面白い講義だと書いてあるので覗いてみても僕には手抜きとしか思えない動画もあった。
何かを面白いと感じる感覚が僕とは全く違う感じだ。
覗く面白さはわかるけど、覗かれることには耐えられない。
なぜこれほどの短いピッチで他人とつながっていたいのか、自分を他人に見せたいのか、わからない。
建築界に限ると、僕らより若い世代あるいは少し上の世代だけがやっているように思えるけど、気のせいか。

●合間に数冊の本も同時に拾い読み。
聖徳太子じゃあるまいし、こんな雑な読み方じゃだめだなあ。

●一番の逃避先はYou Tubeのお笑い系。中川家とか大好きだ。
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by yoshiaki-hanada | 2010-10-12 01:53 | ●花田の日記

101008 時間ばかりが流れて

淡々と時間が流れていく感じの毎日。

●7日(木)
・午前中は、ゼミの院生2名の製作中の作品を見せてもらう。
いずれも単純に建築を設計しているという行為からは一旦距離をおいたもので、なかなか評価が難しい。学生には叱られるだろうが、安易なレッテル貼りをするなら石上純也的というか内藤礼的というか、いずれもそういうテイストの作品なのだが、モノとしての完成度やプロジェクション=投企としての強さがまだまだ。踏ん張ってほしい。

・午後は3年後期の実習。
前半は、非常勤の香川貴範さんと笹岡周平さんにレクチャーをしていただいた。
香川さんは、完成したばかりの住宅や工事中の物件を題材に、設計過程における多くの案の導出や選択の様子を具体的に紹介し、そこにある論理を示してくださった。「家具から出発した世代がどんな想像力を示せるか」という言葉が印象的。
笹岡さんは、自分の学生時代から就職から独立までの様子、そして現在の仕事の進め方やめざすものまでを実にわかりやすく編集した画像を見せていただいた。おそらく学生諸君は、自分のこれからと重ねて見入ったに違いない。感謝。
その後、敷地等についての現状分析と、改修後に入れるテナント等についての1回目の発表をしてもらう。
去年もそうだったが、建築の設計ではなく、既存の建物に対するインテリアデザインというかリノベーションというか、そういうレベルの設計行為を前提とし、テナントも自分で想定するというこの課題は、学生にとっても、また教える側にとっても案外と難しい。
「テナント」を考える学生側の想像力というか、社会経験というか、それがそれほど広くなく、一方、狭い想像力の産物としかこちらには思えないその企業やお店ではいかに面白くないのかを正確に指摘する論理も、意外に組み立てづらいからである。
学科のカリキュラムを自省したり、学生の「身の丈主義」を批判したくなったり、悩ましい。

●8日(金)
大学祭の準備の日で休講。
大学院の留学生と4年生1名の卒論のチェック。
スタジオでは、学部生が展示の準備をしていた。みなさん、見に来てやって下さいね。


松村正恒本のゲラがどさっと積まれている。
ちょっと気がはいってない。猛反省。この週末に集中しなくては。

読みたい本も積まれたまま。
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by yoshiaki-hanada | 2010-10-09 01:14 | ●花田の日記

10106 西沢立衛さんの特別講義

今日は、西沢立衛さんの特別講義があった。
最初に建築に対する自分の考え方の基本を、「環境」と「人間による使用」の2つのキーワードで説明し、その立場に従って最近のプロジェクト紹介がおこなわれた。
僕は彼のレクチャーを聞くのは初めてだったが、何より印象的だったのはその話ぶり。英語に翻訳しやすいだろうなあと思ったほど、わかりやすく歯切れのいい日本語が、予めきちんと書かれた原稿を読むかのように(原稿はなし)、西沢さんの口から溢れ出た。またその印象は会場からの質問への回答においても変わらず、いっそう驚いた次第である。
豊島の美術館の工事中や内部の土を取り除いた状態の画像も見せてもらえ、雑誌の図面ではなかなかイメージできなかった空間が少しわかった。しかし内藤礼の作品とどんな関係を生むのかは見てみないとわからない。17日がオープンだそうである。いずれ訪れてみたい

卒論が佳境に入ってきた。みんな頑張れ。

先日の青木君の特別講義やオープンスタジオの中間講評会の感想を書いたので、とくに登録者の人は見て下さいね。登録者の所属校も発表しました
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by yoshiaki-hanada | 2010-10-07 01:18 | ●花田の日記

101004 1日13時間理論

卒論ゼミ。
18日が提出締切で、あと2週間だ。
僕の感覚からすると皆さん遅れ気味。
設計好き諸君はイベントやコンペの多い秋、あれこれと動きたくなる。
編入生の諸君(今年は僕のゼミは多い)は、どうしてもとらなくてはいけない授業が残っている。
といった条件が重なり、なかなか卒論に集中できていない。
それぞれテーマとストーリーは見えている。

残りの日々、1日13時間理論でやってほしい。
1日13時間パソコンに向かう。
7時間睡眠を確保。
朝・昼各1時間、夜2時間を食事やお風呂に使う。
合計24時間。
これを2週間続ける。

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by yoshiaki-hanada | 2010-10-05 09:16 | ●花田の日記

101002 青木君の特別講義

青木淳さんによる特別講義と、オープンスタジオの中間講評会が無事終わった。
特別講義は「風景から建築へ」というオープンスタジオのテーマに合わせた話にしてね、というリクエストに青木君がどう応えてくれるのか興味津々だったのだが、Maison AO AO(青々荘)、実現しなかった集合住宅案、青森県立美術館を題材にし、そこに、映画「誰も知らない」の映像分析を重ねた構成は、さすがという面白さだった。中間講評会のことも含め、オープンスタジオの対話編の方にもう少し詳しく書くつもり。

それにしても今日の話は、青木君が、モノに対して、感覚的ではなく、いかに論理的な操作をおこなっているのかがよくわかる組み立てで、そういう話を聞かされると、オープンスタジオという企画は学生のためというより僕自身のためにやっているんじゃないかとすら思った次第である。3回のオープンスタジオは、結局のところ青木淳論に向けた資料収集の場になった。

青木君は、建築を語る論理的な言葉はいわゆる言語や歴史や社会をベースに組み立てるものだという一般的な思い込みを打ち破り、モノによっても、いや、モノよってこそ建築を論理的に語ることができるのだという地平を切り開いた建築家なのである(©花田、笑)。終了後、三宮の台湾料理屋・蓬萊亭で彼とご飯食べながら到達した結論。そろそろ青木淳論の続編を書くことを自分に課してみたい。
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その他、腸詰め、春巻き、青菜炒めなどをつつきながらいろいろな話。
特別講義への感想、そこからの青木淳論、来春おこなわれる青森県立美術館での「青木淳×杉戸洋」展で青木君がやろうとしていること、美術館って何か、僕の松村正恒本の相談、円周率を3で組み立てたような曖昧な話は数学ではないという話、教育談義、などなど。
僕は青木君の基本にある、コンピュータ用語で言えば「スタンドアローン」な姿勢を最も尊敬する者であるが、今夜もあらためてそのことを実感。群れる人々は僕は嫌いだ。

蓬萊亭をひとりで切り盛りする女主人から出された「うちの春巻きの中には10種類の品がはいっているが当ててみよ」という問題に、青木君がどうのこうの言いながら正解したのはさすがであった。
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by yoshiaki-hanada | 2010-10-03 13:02 | ●花田の日記