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100829 こつこつと

暑さが少し戻るが、でも確実に涼しくなっている。
秋の気配を感じた途端に寂しくなるのは歳をとった証拠だなあ。

『「大学町」出現 近代都市計画の錬金術』(木方十根、河出ブックス)『愛と憎しみの新宿 半径1キロの日本近代史』(平井玄、ちくま新書)を読んだ。
前者は、この春初めて行った慶應の日吉キャンパスのことにも触れてあり、現地で体験した空間の歴史的背景を教えてもらえた。後者は、大学にはいった頃、少し前の世代のことを知ろうとして出会った固有名詞がいっぱい出てきて懐かしかった。

本日から、博士論文に入れた写真や図版の再スキャニング作業を開始した。
科研費による出版のための編集作業が進んでいるが、そのための画像データづくり。
350dpi以上の解像度が必要と言われ、ともかくスキャンのやり直し。
出版できるとわかっていたら、論文書くときからそうしてたのに。
ま、仕方ない。こつこつやろう。
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by yoshiaki-hanada | 2010-08-29 01:34 | ●花田の日記

100827 水木しげる

現在、関西では水木しげるの展覧会が2か所でおこなわれている。
大阪の阪神百貨店の「水木しげる米寿記念 ゲゲゲ展」と、兵庫県立美術館での「水木しげる・妖怪図鑑」展だ。鬼太郎ファンとして、僕も両方に行ってきた。

ところで、NHKの朝ドラ「ゲゲゲの女房」がたいそう面白く欠かさず見ているが、僕のまわりにもはまっているいる人が多い。
実は東京方面某建築関係雑誌編集部から、東京での「水木しげる米寿記念 ゲゲゲ展」に行きそびれたので(東京・大阪だけでの展覧会なのだ)、限定グッズのこれこれを買って送れとの極秘指令があったのである。東京展は祖父江慎がアートディレクションをし、限定グッズのデザインもしていたのだ。それをご所望というわけである。さっそく梅田に走り、入手した。ただし「いったんメモ」は無く、残念であった。

兵庫県立美術館でもいろんなグッズを売っていたのだが、最後のコーナーで500円のくじ引きをやっていて、最下位でも目玉おやじの小さな人形がもらえたのでやってみたところ、なんと2等が出て「目玉おやじ妖怪変色ライト」をもらってしまったのじゃ!

『ユリイカ』2005年9月号の「水木しげる」特集も買ったところ、野坂昭如の原作に水木さんが漫画を描いた「マッチ売りの少女」が再録されていた。昭和44年の『野坂昭如の本』(KKベストセラーズ)に載ったもの。非常に哀しく残酷な話なのだが、水木しげるはそれをそのまま容赦なく漫画にしている。水木さんは素晴らしい。

ちなみに、野坂昭如の「マッチ売りの少女」という短編小説は、『戦後短篇小説再発見2 性の根源へ』(講談社文芸文庫)などにはいっているから、読んだことない人はぜひ読んで下さい。
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by yoshiaki-hanada | 2010-08-28 21:36 | ●花田の日記

100825 涼しい風が少し

本日25日の夜はこの夏初めて涼しい風が吹き渡り、エアコンを止め、窓を全部開放した。
生き返る感じがする。

昼間は、国立国際美術館の「横尾忠則全ポスター」展「束芋 断面の世代」展へ。
どちらもたいへんい面白かったが、とくに横尾展は素晴らしい。
ポスターという、いわばテーマを与えられる美術分野で、これほど多様な作品性を出せるとは!
天才だなあ、やっぱり。
ポスターの現物を壁面全体に張り巡らした展示もすごい迫力。
分厚いカタログも出版されているが、迫力が全く違う。
学生諸君、必見ですよ。
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by yoshiaki-hanada | 2010-08-26 00:21 | ●花田の日記

100820 暑い中で青息吐息

暑い毎日が続く。
1階と2階の温度差が大きく、2階の自分の部屋から1階に避難。
1階奥のエアコンのある唯一の部屋の扉を開け、扇風機をその近くに置き、1階回りの窓を閉め切るという状態にすると冷気が1階に広がるということを発見。こんなことではいかんのだが、窓を開け外気を入れても30度以上あったのでは意味がない。なんやかや、わが家の熱環境について思うところの多い夏。来年は建築的な対策をしたい。

●「建築空間のデザイン」のレポート、採点終了。
今年はやや長めの分量を要求したのでどうなるかと心配だったが、きちんと授業に出ていた諸君は(途中の小レポートで出席確認)そこそこのものを出してきた。一方、出席が少なかった諸君は、分量の多さに戸惑ったんだろうな、レポートの提出自体を諦めた様子。したがって、全体としては、S(Aのさらに上)やAが多く、Bが少し、Cはわずか、判定不能のEがいささか多いという結果となった。書ける子はちゃんと書ける。これはいかんと思ったのは、分量の多さの前でネットに逃げてしまった何人かの諸君。コピペですね。出題時に予告した通り、そういうレポートは不合格とした。

会田誠の『カリコリせんとや生まれけむ』(幻冬舎)、たいへんに面白かった。作品もすごいが、文章がこれほどうまいとは。ものを作る人の文章の鑑だと思った。建築家にも、毒と論理が共存したこういう言葉を吐いてほしい。
会田の本に「問題児」の息子さんのことが書いてあったからということもあって、『高機能自閉症児を育てる 息子・Tの自立を育てた20年の記録』(高橋和子、小学館101新書)も読んだ。

「オープンスタジオ 2010」の青木君との対話編に第1信をやっと書いた。「風景から建築へ」というのが今年のテーマだが、「風景」という手触りのいい言葉の前で戸惑い気味。
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by yoshiaki-hanada | 2010-08-20 21:01 | ●花田の日記

100806-08 ゼミ旅行 

8月6日(金)から8日(日)まで、ゼミ旅行を兼ねて日土小学校の見学会などに行ってきた。
6日朝、4年生5名、院生1名とで芸工大を出発。山陽自動車道を快調に走り、宇野港でフェリーに乗ってまずは直島へ。

SANAAのフェリー乗り場を見て、
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直島銭湯「I♥湯」を見て(もちろん夕方実際にはいって)、
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その前で、東京芸大の物々交換の旅をしている柚木恵介さんらと遭遇し、うちのT口君がグレープフルーツとマルボロメンソールを交換し
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できたての李禹煥美術館や地中美術館を見て、
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夕飯はここで盛り上がり、ここで雑魚寝をし、
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2日目はフェリーで高松に渡り、まず香川県庁舎へ行き学生諸君にモダニズムの基本をお勉強してもらい、
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坂出人工土地ではカルチャーショックを受けてもらい、
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丸亀市猪熊弦一郎現代美術館平和ガールズに遭遇し、「SickeTel -キュピキュピと石橋義正-」展の華麗な映像を浴び、
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伊予市立翠小学校の見学会に何とか飛び込み、
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八幡浜へ向かう途中で、夕陽の美しさで有名なJR下灘駅に連れて行ってもらい、夜は八幡浜泊。僕は日土小学校保存再生チームであれやこれや打ち合わせ、学生諸君は教育委員会のKさんに紹介してもらったお店で盛り上がり、さらに二次会を焼き肉屋で(!)やっていた男子4名に誘われ僕も合流。みんなで喋りまくる。
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3日目は、日土小学校の「夏の建築学校 2010」へ。
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「授業」もやり、
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あいかわらず美しい空間にうっとりし、
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みんなで再会を喜んだ。
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帰りの車の中でも喋りどおし。
3日間としてはまずまずの濃密旅行になったのでは。
2日目の朝、学生諸君は家プロジェクトを見たいのではないかなと不安になりながら高松行きを決めたのだが、坂出人工土地を見た諸君の反応からは、正しい判断だったと安心した。直島の安藤建築との比較をしてほしかったのである。
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by yoshiaki-hanada | 2010-08-16 02:29 | ●花田の日記

100803 最後の授業のお陰で

暑い。
しかし大学はまだ夏休みに入らない(8日からだ)。
多くの大学も同じだと思うが、最近は1コマ・2単位につき15回の授業回数確保が文科省から強く求められるため、祝日の多い月曜日対応や休講に対する補講の実施などに引きずられ、前期・後期とも早く始まり遅く終わる。もちろん、授業回数は単位の根拠であり、その確保を大学は学生に保証しているというわけだが、この暑さの中では、いささか形式主義的過ぎる考え方としか思えない。

僕の担当講義である「建築空間のデザイン」も、途中1回休講を入れたため、今日、15回目の最後の授業として補講をおこなった。
「この授業で僕が言いたかったこと」というまとめと、サヴォワ邸を例に、建築を総合的に構想するということ(それが「僕の言いたかったこと」だ)について話した。
しかし授業というのは常に教える側も学ぶことが多いわけで、今日はまとめを喋っているうちに、僕が「保存」に関心を持っている理由を改めて自分で納得する機会になった。
この授業は、いわば建築の統辞論、意味論、実用論を順に話している(といえると思う)。そして意味論の回の一部に、ポストモダニズムやキッチュ建築の話をするのだが、それらは「取ってつけた文脈」による「意味の過剰」として説明できるというまとめを喋った後、実用論の回で喋った「保存」のことを説明しようとして、「「保存」とは「取って付けたような文脈」によってではなく、「文脈の連続性」によって、「過剰」ではない建築の「意味の安定性」を確保する行為だ」と喋っている自分に気づき、ああそうなんだなあと思い至ったのである。
当たり前だとか、何らかの位置づけがあるからこそ授業に入れてるんでしょとか言われそうだが、自分の設計論の文脈の上での位置づけが明快になった気がして嬉しかった次第。ひとつ前のことについて喋った頭が勝手に次のことについてもうまくオチをつけてくれた、そんな感じ。こういう思考の自動運動みたいなことが、「喋ること」の意義だと思う。

今週末は、ゼミ旅行で直島経由で日土小学校の「夏の建築学校」へ行く。
これを読んでいるあなたも、ぜひ日土へ!

オープンスタジオの青木君との対話編もそろそろ始めないといけないな。
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by yoshiaki-hanada | 2010-08-04 00:18 | ●花田の日記