カテゴリ:●花田の日記( 294 )

110515 シンポジウムの反響

上記のシンポジウムについて、さっそくいくつかの嬉しい反応を見つけた。
書いて下さった皆さんありがとうございます。勝手に引用しますがご容赦を。

「NUKATANI, Sorahiko」さんのツイッターから。
松村正恒や日土小学校からモダニズム建築のもうひとつの可能性への解釈と、今回の展覧会が東京でおこなわれたことの位置づけを、まさに僕が思っていたことと全く同じ内容でしていただいていて驚きました。
プロフィールを拝見するとコンピュータの専門家の方のようでさらにびっくり。
しかも、『建築文化』の1994年9月号の「戦後近代建築との対話」という特集に僕が初めて書いた松村論「モダニズムというノスタルジア」を読んでいただいていたとのことで感慨深い。
会場で声をかけていただけると嬉しかったのだが。残念。

                  *
「「日土小学校と松村正恒」展 http://bit.ly/i2GFZK とシンポジウムに行ってきた。企画者の愛が溢れた、素晴らしい展示。100円のパンフレットも破格の出来栄え。入場無料なので、一人でも多くの人に見てほしいと思う(日・祝休館なのが残念だけど)」

「日土小学校は今から半世紀以上前に愛媛県八幡浜市に作られた「木造モダニズムの傑作」と呼ばれる建築。どんな建物かは、このPDFの3ページ目 を見てもらうのが一番早い。図書室から川に張り出したベランダで読書できる学校なんて、そうそうない。」

「あるいは、この写真 日頃建築に興味がなくても、思わず惹きこまれる人があるのではないかと思う。廊下に、教室に、溢れる光。風が通り抜けていく空間。ちょっとしたベンチや、棚や、洗い場の飾らない佇まいにひそむ、作り手の細やかな思いやり。」

「松村正恒は(吉阪隆正・象設計集団とならんで)僕がもっとも好きな自国の建築家だ。出会いは『建築文化』誌の94年9月号。大学帰りの図書館で、ふと手にした「戦後近代建築との対話」という特集に出ていた日土小学校の写真に、強烈に惹かれた。建築に漠然と感じていた魅力の核心がそこにあった。」

「「モダニズムというノスタルジア」と云う題の記事を執筆していたのは、今回のシンポジウムにも参加していた花田佳明氏。今年『建築家・松村正恒ともうひとつのモダニズム』という大著を出版された。困難を乗り越えて見事に再生した日土小の話を、あの文章を書いた方から伺うのは、感慨深かった。」

「花田氏が触れているように、日土小学校の空間には不思議な「懐かしみ」がある。半世紀以上経った今だからという訳ではなく、建って10年も経たない1967年、既に「ここで小学校の日々を送ったような錯覚にとらわれ」「遠い幼い日のノスタルジアが立ち込めてくる」という言葉が捧げられている。」

「この「体験したことがないのに懐かしい」感覚については、恐らく建築の言葉で対象の空間を分節していっても、ある一線を越えて迫る事が出来ないのではないかと思う。それは建築論の限界というより、対象が空間以前の段階、或いは空間を体験した後の心的影響の領域に属しているからではないか」

「僕はむしろ児童文学の世界こそが、この感覚に迫るための豊富な語彙を持っているように思う。日土小学校を、松村正恒という作家が著した「空間による児童文学」と考えることで、その本質がより豊かに見えてくるのではないだろうか。」

「松村正恒は書く。「わたしは、小学校をつくるとき、まず子供になったつもりでプランを考えはじめるのです(…)ふとんのなかで目をつむる、子供に変身する、童心にかえる。学校のなかを走りまわる、座ってみる、変化と感動を探り出す(…)学校のかたちが現れる。歓声が聞こえてきます。」」

「この建築家の言葉からは、優れた児童文学作家の創作における態度と、多く共通するものを見出すことができると思う。子供になるということは、自分の幼時の記憶の中に分け入っていくということだ。取り出されるものが言葉であれ、空間であれ、探求が深ければ深いほど、それは普遍的な相貌を帯びる。」

「「(…)何かがつたわってくる。静けさのような、落ち着きとか、やわらかさとか、雰囲気のようなものがね。空間の香りといってもいいかもしれない(…)わたしは、そういうかたちだけではない、こころとでもいっていいようなものを学校建築にこめたかったのです。」」

「優れた児童文学に共通する点のひとつは、それらが空間的な描写において徹底して具体的かつ緻密であろうとする、という事だろう。たとえばランサム・トールキン・ピアス・佐藤さとる。映像においては宮崎駿。これは子どもと世界の関わりが、対人関係のみならず、外界の探検によっても行われるからだ。」

「自らの幼年時代の記憶を再現しようとするならば、作家はおのずとその空間的感性を最大限に研ぎ澄まして、子どもを取り囲む奥行きを持った世界を文章(映像)の中に再現すべく苦闘する事になる。その想像力の用い方は、ある段階に至るまでは「空間設計」や「建築」に関わるものと未分化なのだと思う。」

「本の場合、たとえ絶版になっても、図書館にある限りは読み継がれていく可能性がある。だが建築は一度壊されてしまうと、永遠にそれを「読む」手段が失われてしまう。日土小学校はここ数年、保存と取り壊しの間で地域を二分する議論があり、一度は存続が絶望的な状況まで陥っていたらしい。」

「地域の人々と行政と専門家のチームワークに幾度かの幸運が重なり、重要文化財を目指す形での修復と増築が成ったのが2009年。結果として、建築的な価値の回復と校舎としての機能向上が両立する、奇跡的な事例となった。シンポジウムで聞いたその経緯だけでも、映画が一本出来そうな感じだ。」

「保存に向けた大人たちの苦闘が、どのような形で結実したか。それは今回の展示のそこここにある、現在の日土小学校の大きな写真を見れば一目瞭然だ。そして在校生による「わたしの好きな場所」を描いた絵と言葉の展示。この校舎が想定した使い手たちに心から愛されている事が、じんじんと伝わってくる。」

「「ベランダに出ると、川がきらきらして、きれいです。こんなふうけいを見ているとこころがぽかぽかしてきます。」「ぼくはこの階段を気に入っています。」「とても静かだけど、本に囲まれていて、明りは、ランプがあって、とてもおちついている場所です。鳥の鳴き声も聞こえてきます。」」

「このような建築が、一方で「モダニズムの傑作」と呼ばれていることは、ある可能性を指し示しているように思う。近代(モダン)の産物を打ち捨てるのではなく、近代の中にある失われた可能性を今一度緻密に検証し、改めて辿りなおすことの中にこそ、未来への鍵があるのではないか、ということだ」

「これ自体はずいぶん前から言われていることだ。しかし近代社会を可能ならしめたサイエンスもエンジニアリングも、それらが行き詰ったとか、訣別すべきとか云う、ある意味他人事な議論が全く通用しなくなった今という時期にこそ、賢明に活かし共存していく事へのヒントを必死に探す必要があると思う。」

「松村正恒展が答えそのものだとまでは流石に云う気はないが、少なくともこの地方の一校舎にまつわる展示がいま、この国の首都で行われている事には、建築業界の中のみにとどまらぬ意味があり、多様な立場と興味を持つ人々が「これから」について考える上でのヒントが存在していそうだ、とは云える。」

「ト、いたづらに千言、万言を費やすより、百聞は一見に如かず。6月3日まで、東陽町の竹中工務店ギャラリーA4にて。お薦めです。」
                  *

「Daisuke Kawajiri」さんのツイッター。松村本の編集者です。

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「八幡浜市立日土小学校と松村正恒展観賞。昨夜のシンポジウムは再生なった木造校舎の保存復元と改修増築(と改築)プロセスについて。地元設計者/研究者/教育委員会スクワッドの辛抱強い活動が最悪の境遇から最高の保存事例へ導いたプロジェクトの報告に落涙」
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by yoshiaki-hanada | 2011-05-15 12:12 | ●花田の日記

110514 松村展のシンポジウム

13日(金)は、東京のギャラリーA4で開かれている「八幡浜市立日土小学校と松村正恒展」のシンポジウムで上京。
10年以上にわたり地元でのまとめ役を勤めた愛媛大学の曲田清維先生、八幡浜市の教育委員会においてぶれのない判断を維持してくださった梶本教仁さん、既存部の改修の設計を担当した建築家の和田耕一さん、そして私がパネリストになり、会場には新西校舎の設計を担当した建築家の武智和臣さんも控え、全員でこのプロジェクトの全体像をお話しした。理論的なことかから現実的なことまで、十分にわかっていただけたのではないかと思います。
展覧会も素晴らしい構成だった。
会場にはいろいろな方が来て下さり嬉しかったが、博士論文や本を書く途中で知り合い直接お目にかかるのは初めてという方もあり感激した。

1994年に松村正恒の建築と初めて出会ってから17年。
こんな展覧会やシンポジウムが開かれるなんて夢みたいだ。

次は27日に私と青木淳君による講演会をおこないます。


会場入り口。左のパネルの右端に「開館」と書かれた木の札がぶら下がっているのをお見逃しなく。日土小学校の図書室で使われていたものです。
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正面にある模型は東大の腰原研でつくった軸組模型。
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大きな写真や実物の家具で教室が再現してあります。
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左側の窓が実物では川側です。
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実際に日土小学校の中を歩いているような気になる会場構成です。
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矩計図が壁になっています!
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昇降口を原寸で再現!
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神戸芸工大でドコモモ展のときに造った模型も出品しています。
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日土小学校の子どもたちが描いた絵と文章も展示してあります。
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松村の勉強ノートやいろいろな手紙等の資料も展示。
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子どもたちが使っている様子もたくさんの写真でレポート。
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by yoshiaki-hanada | 2011-05-15 02:23 | ●花田の日記

110509

しばらく更新ができませんでした。
というのも、私事で恐縮ですが、4月20に私の母親が亡くなり、慌ただしくしていたからです。いろいろな初めての体験と感情に襲われましたが、やっと少し落ち着いてきました。連休前に一旦大学に復帰し、連休明けの本日からが本番です。しかしここ4か月ほどの奔走からくる虚脱感が残ったまま。ブログでも再開し、体制を立て直す一助にしようと思った次第です。

とりあえず、僕が関わっていることについてのお知らせをいくつか書きます。

(1)竹中工務店のギャラリーA4での「八幡浜市立日土小学校と松村正恒展」関係。

 ●シンポジウム「日土小学校の保存と再生」は予定通りおこないます。
    5月13日(金)18:30〜20:00
    講師/鈴木博之 花田佳明 曲田清維 梶本教仁 和田耕一
    日土小学校の保存再生について愛媛の皆さんとともに詳しくご報告します。

 ●中止になった講演会「松村正恒の思想」が復活することになりました。
    5月27日(金)18:30〜20:00
    講師/花田佳明 青木淳
    松村正恒について、13日には話しきれないことを詳しくご紹介します。
    青木君の松村解釈も楽しみです。

(2)南洋堂書店で4月23日に予定していたレクチャーは、上記のような私の事情で急遽中止させていただきました。応募して下さった方々にお詫び申し上げます。現在、少し内容を調整して復活させていただく可能性が出ています。日程等決まればお知らせします。

(3)僕の『建築家・松村正恒ともうひとつのモダニズム』(鹿島出版会)について、植田実さんが今月の『コンフォルト』6月号に書評を書いて下さいました(P.152)。1頁にわたる長いもので、感激!のひと言の内容です。装幀についてほめていただいたのも嬉しくてたまりません。

(4)『住宅建築』6月号と『日経アーキテクチュア』5月10日号にも紹介されました。後者には、「651ページ。この量を書く方も書かれる方もすごい」とありました(苦笑)。

(5)学科の同僚とやってきた設計教育とそれに基づいてつくった教科書『初めての建築設計 ステップ・バイ・ステップ』(彰国社)が、今年の日本建築学会教育賞をとりました。講評はこれです。
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by yoshiaki-hanada | 2011-05-10 00:29 | ●花田の日記

110414 お知らせ/南洋堂書店でのレクチャー

東京の南洋堂書店で「松村正恒の建築と思想」と題したレクチャーをします。
4月23日(土)18〜20時 です。
お時間のある方はぜひお越し下さい。
詳しいことはここを見て下さい

なお定員20人という小さな会です。それほどたくさんの方が来られるとは思いませんが、上記サイトにある申し込み手続きをお忘れなく。
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by yoshiaki-hanada | 2011-04-14 01:26 | ●花田の日記

110408 小寺邸解体!

東灘区の阪急御影駅北側の住宅地にある「小寺邸」が解体されていた!
W.ヴォーリズの設計で1930年にできた建物だ。
昨日、近くに住む友人のH大学S先生からメールでお知らせがあり、今しがた見に行ってきた。
わが家からは車で山を下ればすぐ。
いつもその前を通っている。
数日前は何ともなかったのだが、1ヶ月ほど前に引っ越しのトラックが来ているのを目撃し、「あ、やばい」とは思っていたが、突然のことであった。
ずっと「小寺」という表札がかかっていて、小寺家のどなたかと思うが、住んでおられたはずだ。

本日の状況は、車寄せのポーチが破壊されていて、周囲の樹木も伐採が始まっている。

このサイトにかつての写真がある。
またコメント欄には解体情報も書き込まれている。

毎日新聞のサイトにも記事があった。

残念としか言いようがない。
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by yoshiaki-hanada | 2011-04-08 14:31 | ●花田の日記

110406 春を恨まず

地震、津波、原発に襲われていても春は来る。
まして被害のなかった関西は桜も咲いてまさに春。
でも違和感がある。
しかしこの春を恨んでも仕方ない。
親の容態もすぐれず気ぜわしい。
明るさの中でいろんなことを考える。


大学は新学期。
1年生の初々しい姿に救われる。
4月3日(日)の入学式の夜、芸工大恒例の新旧教職員懇親会があった。
前学長の土肥先生にお目にかかる。
ご病気のときにもその強靭な精神力に驚かされたが、今日は「老い」に関する独特のお考えを聞きさらに驚いた。
吉武、鈴木、土肥という3人の個性的な学長と接することができたことは僕にとって何ものにも代え難い宝だ。
松村本をお送りしていたのだが、直接お褒めの言葉をいただき心底嬉しかった。


ゼミもスタート。
今年は4年生3名、M1・2名、M2・2名というこじんまりとした所帯。
さてどんな1年になるだろう。


松村本も分厚かったが、最近買った2冊もすごい。
長谷川堯『村野藤吾の建築 昭和・戦前』(鹿島出版会)佐藤健二『社会調査史のリテラシー』(新曜社)
佐藤さんには、教養部の学生の頃、読書会に混ぜてもらったことがある。
しばらく新しい本が出なかったがこの大著をまとめていたんだなと納得。
都市を読む「方法」についてのメタテキストだ。


実家で読んだのは、太田博太郎『建築史の先達たち』(彰国社)
野矢茂樹『ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む』(ちくま学芸文庫)は途中で挫折。
少し前に読んだ別宮貞徳『裏返し文章講座』(ちくま学芸文庫)の批評精神は心地よかった。


元気のでないときはいつでもキヨシローだ。


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by yoshiaki-hanada | 2011-04-07 02:16 | ●花田の日記

110327

日曜日。
大学は春休みということもあるが、地震以降、曜日や日にちの感覚がやや薄くなっている。被災地から遥か遠くにいてこんなありさまだから、現地の皆さんの心理状態は想像に余りある。
阪神大震災のときは最初の1週間、僕は日々の記録を書かなくてはと思いながらも果たせなかった。今日が終わった、さあ明日だ、というような1日単位の感覚を全くもてなくなっていた。何より、言葉に記すために思い出すことが怖かったのだ。1週間後に妻の記憶を頼りに(女性は落ち着いている)メモ書きし、それ以降は大丈夫になった。


青木君から、当日の揺れやその後の様子を知らせルメールが来た。
社会の根本的なところが変わらなくてはという思いを強くしたという主旨の言葉も添えられて。
全くその通りだ。


松村正恒展、ツイッターで感想を少し発見。

磯達雄さん
「狩江小学校のお別れ会は、講堂でも体育館でもなく、階段のある昇降口で行われた。松村の設計でもキモとなるこの空間を、子供と親と先生が、名残惜しそうに使っている。感動した。モーレツに感動した」

:PTAの方が撮影したビデオを以前僕がダビングさせていただいたものを上映しています。僕も松村さんの生前の姿を初めてこれで見たわけです。子どもたちと大人とが学校を介してひとつになっています。子どもたちがつくった校舎とのお別れの歌、松村さんから子どもたちへのメッセージ、どれも素晴らしいです。こういうことってあるんだ!と思いますよ。

コンフォルトの多田君枝さん
「日土小学校を存続させたことの意義は、後年、より明らかになるように思います。あそこで勉強できるとは、本当に幸せな小学生たちですね」

こういうときだからこそ落ち着いた日常の大切さがいっそう身にしみるわけですが、日土小学校や松村さんは、まさにそのことを教えてくれるような気がします。
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by yoshiaki-hanada | 2011-03-27 11:24 | ●花田の日記

110325

大学で、なぜか今ごろ某君の卒論だめ押しブラッシュアップエスキス。
内容というより形式が中心テーマ。
目標は、明快な論旨と迫力ある誌面だ。


原発は一進一退。
昨夜は作業員の方3名が被曝。
昨日の午前中、テレビで原発のニュースを見ようとしたが、どのチャンネルも通常の番組をやっていて驚いた。
いくらなんでも早すぎないか。
この機会を手がかりにして日本の制度設計を変えてやろうというような放送人はいないのか。


今日は、本来なら松村正恒展で講演の予定だったが中止。
竹中の松隈君から、間違ってくる方への対応等に関するメールが来る。
お目にかかるのを楽しみにしていたひともあり、誠に残念。
5月13日のシンポは絶対にやりたい。
展覧会は6月3日まであるから、別の日に今日の雪辱戦もやれるとよいのだが。


『長野市民会館50年の記録』(長野市民会館編集会議、信濃毎日新聞社)という本が届いた。
坂牛卓さんのブログで知り、ネットで検索して上記リンク先の編集元に連絡して購入した。
佐藤武夫と宮本忠長によるきわめて戦後的なデザインの文化会館の魅力を、小さな本ながら実に見事に伝えている。設計図をコピーし二重に折り込んだカバーなど、造本も魅力的だ。
こんな建物を壊してはいけないと、いまさらだが強く思った次第。
編集会議からいただいたメールによれば、3月末閉館・9月取り壊しの予定だったが、今回の震災のための物資の収集場所としてしばらく使われるとか。そのまま再生の道へとつながらないものだろうか。


つまみ食い読書中のもの。

・『ツチヤ教授の哲学講義』(土屋賢二、文春文庫):ウィトゲンシュタインに依拠した哲学観、分かりやすくて面白い。「「Xとは何か」と聞かれたら、Xは「X」と呼ばれているものだと答えるしかありません」というニヒルさはいいなあ。
・『私たちはいまどこにいるのか』(小熊英二、毎日新聞社)
・『失われたものを数えて』(高田里恵子、河出ブックス)
・『人、中年に到る』(四方田犬彦、白水社)
・『πの話』(野崎昭弘、岩波現代文庫)
・『ぼくらはガリレオ』(板倉聖宣、岩波現代文庫)
・『学歴貴族の栄光と挫折』(竹内洋、講談社学術文庫)
・『朝日ジャーナル 日本破壊計画』(朝日新聞社)

『茨木のり子の家』(平凡社)は美しい本だった。
その他、建築・都市関係は何か書かないとさすがにカッコ悪いけど、ともかく積ん読だらけだ。
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by yoshiaki-hanada | 2011-03-26 01:27 | ●花田の日記

110322 地震のあとに

日記を書く気になれなかった。
11日に起こった東北地方の津波被害、そして原発事故という初めて経験する映像や情報を前に、自分を見失っていたというべきだろう。
インターネットとツイッターとテレビの情報を追い続けただけの10日間。
情けない限りだ。
もちろんすぐに思い出したのは阪神大震災のときの経験である。
足下が浮いた感じは阪神大震災のときほどではないが似た頼りなさだ。
しかし悲しいことに、あのときの方がまだましだなと思えてしまう。
それほど強烈な被害である。
東北の被災者の皆さんと原発の現場で戦っている人々の無事を祈るばかり。
こちらは心を強くして平常状態に戻らなくては。
原発は外部電源で3号機制御室の照明点灯とのニュース。
頑張ってほしい。


そんな中、19日(土)におこなわれた芸工大の卒業式は明るい日常の大切さを思い出させてくれた。
学生諸君による謝恩会の演出が素晴らしく、上映された映像に感激のあまり、あやうくみっともないオセンチ野郎ぶりを晒すところだった。
修士を修了したM君から内原恭彦の『Son of a Bit』をプレゼントされる。こちらからはお返しに『建築家・松村正恒ともうひとつのモダニズム』。
みんな元気でね。
ゼミの諸君は新しい連絡先と卒業式の写真送っておくれ。


竹中工務店のギャラリーA4での「八幡浜市立日土小学校と松村正恒展」は、地震があったにも関わらず予定通り3月18日からスタートしています。
ただ、3月25日に予定していた私と青木淳君による講演会は中止となりました
残念ですが仕方ありません。
企画を進めてくれた松隈章君から会場の様子を写した写真が届きましたので紹介します。
昇降口の原寸写真、日土小学校の子どもたちによる絵や文章など、見応えあります。
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日土小学校の春休み見学会は、3月27日(日)(9時〜16時)に予定通り開かれます。
愛媛新聞八幡浜市支社の記者・岡山直大さんから最近届いた写真です。
菜の花に包まれた日土小学校。
この風景を見に、ぜひ!
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地震前の出来事で書こうと思っていたのは、『建築家・松村正恒ともうひとつのモダニズム』の想定をお願いした間村俊一さんにお目にかかったことだ。2月22日(火)、鹿島出版会の編集者Kさんといっしょに神楽坂にある間村さんの仕事場「山猫軒」へ行った。
この雑誌で見ていたとおりの笑顔と空間。
間村さんがデザインしたかっこいい本の山の奥で、パソコンは使わず作業をおこなっていらっしゃる。
つまり、文字は写植、色は番号で指定という世界である。
それだけで頭の中に完成後の本の姿が思い描けるわけだからすごい。
間村さんは兵庫県の出身。
年末の神戸新聞で紹介された記事をいただいた。
また、間村さんの句集『鶴の鬱』も譲っていただくことができた。
もちろん自装。
サインをお願いしたところ、

「サンダルに翼生え初む春の家」

という句を選びそれも書いていただいた。本の表紙に使った写真の松村さんはサンダル履き!
ぴったりの句を選んでいただき感激した。
その後、間村さんに教えてもらった神楽坂の飲み屋へ。N洋堂書店のSNG君を呼び出し、編集者Kさんと3人で飲む。本を書いた人、作った人、売る人である。
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by yoshiaki-hanada | 2011-03-23 01:40 | ●花田の日記

110220 『建築家・松村正恒ともうひとつのモダニズム』、その後

神戸芸工大の卒展が終わり、ゼミの打ち上げをやり、その後入院中の親の様子見に実家に帰りもし、慌ただしい日々が続いた。

『建築家・松村正恒ともうひとつのモダニズム』は2月9日から書店に並んでいるので、ご覧いただいた方もあるだろう。
僕も三宮のジュンク堂に様子を見に行ったのだが、レンガみたいな奇妙なプロポーションのかたまりがあり、すぐにわかった。
さっそくいくつかの感想メールや葉書などもいただいている。
また今どきのことだから、ブログやツイッターでのコメントも見つけたりした。
コメントを書き込めるブログには御礼の言葉を残した。
ただ、僕はツイッターをやってないので、そこで触れていただいた方には反応できていない。
ここに書いたところで届かないだろうけど、心から御礼申し上げます。
書籍販売もされながら実に幅広く書評を書いておられる方、この本の編集の手伝いバイトをしてくれたらしい学生さん、地方で活躍した建築家を研究しておられる方、ヨーロッパで修行をして帰ってこられたばかりの若い建築家などいろいろだ。また、僕の研究室の卒業生もブログで取り上げてくれている。
とくに若い方の反応は嬉しい。
おそらく、イズム抜きに松村正恒という建築家の存在を素直に受け入れてもらえると予想していたのだが、まだ少ない反応とはいえそんな感触があり、嬉しい。
また、建築家・泉幸甫さんのブログには「松村正恒のことを書いてあるのだが、実は現代建築や建築家に対する全面的な批評となっている」とあり、過分のお言葉とはいえ、こちらもそんなふうに読んでいただくと嬉しいなあと考えていたことなので、とても嬉しい。

配本直後に購入し、おそらく世界で最初に通読したのが、僕の研究室の卒業生で東京のN洋堂に勤めるS君だ。休みの丸一日をかけて読み切ったらしい。2箇所の誤植を指摘してくれた(笑)。
その他にも、読み終わったという記述をネット上で見かけたが、いずれも「見かけはごついが読みやすい」という感じの感想で、そういうふうに書いたつもりだったので、最高に嬉しい。

九州大学の建築史家・土居義岳さんはブログで取り上げてくださり、思わずコメント欄に返事を書いたところ、2往復の楽しいやり取りに発展した。これこれです。ぜひご一読を。
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by yoshiaki-hanada | 2011-02-21 00:36 | ●花田の日記