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090110 凍れる神戸

1月8日(木):大学の新年互礼会。教員と事務職員が一堂に会してわいわいと立食パーティー。芸工大ならではであろう。こちらは会場の片隅で事務局の人と次年度の入試の打ち合わせ。そのあとは新年最初の学科会議。学期末のスタートである。

今週はじめ、ある研究者の方から『国際建築』誌に関する質問が届いた。その前身である『建築時論』との通巻番号についてだ。『国際建築』は1928年1月号から、編集者・小山正和によってスタートした雑誌だが、その前身とされる『国際建築時論』から通巻番号が通してふられているように思われるが、どういう事情か、というような内容である。
『国際建築時論』は、1925年1月号から1927年5月号まで、早稲田のグループによって刊行された雑誌だが、たしかに1925年から27年までで3巻であり、『国際建築』の発刊最初の年・1928年の号には「第4巻」と書かれていて、それ以降の号を見ても、1925年を第1巻としてカウントとされていることが確認できる。
で、あらためて調べてみると、『国際建築』の最初の号である1928年1月号の編集後記で、小山正和が書いたと思われるが、冒頭に「本誌は第三年の五月号を出して暫く休刊して居りました。それは・・・」とあるのを発見した。もちろん「第三年の五月号」とは、第3巻目の1927年5月号である。
つまり『国際建築時論』と『国際建築』は、ひとつの雑誌と言ってもよいくらい連続的、一体的にとらえられていたようなのだ。その意識が、通巻番号を連続的に打たせたのだろう。小山正和も早稲田出身であるし、「国際建築」というタイトルの共通性からも、休刊していた雑誌の再出発という認識だったのではないだろうか。
ただしこの編集後記には、そのあと、「三ケ年の慣習に引きづられている貌ではいけない」とあるので、『国際建築』になって、誌面の一新は図られたわけだ。
そんなような回答を、当時の誌面の画像とともに、お送りした。
お陰で、こちらも勉強になった。
なお、『国際建築』については、卒業生の石坂美樹さん(現在『GA JAPAN』編集部)と一緒に、以下の2本の大会発表をおこなっているので、ご参照下さい。それぞれのページの右上のボタンをクリックするとPDFで読めます。

●建築雑誌『国際建築』の概要について : 建築雑誌『国際建築』研究(1)
●建築雑誌『国際建築』の特性についての分析 : 建築雑誌『国際建築』研究(2)

1月9日(金):大学で主任仕事の会議。これからの大学の姿についてなど。

1月10日(土):神戸はぐっと冷え込み、朝から少し雪。
夜は、芸工大の院生3人の写真展「Invisible」のオープニングへ。花田研の山下君も出展している。会場は新開地の神戸アートビレッジセンター。12日までです。ぜひ。
by yoshiaki-hanada | 2009-01-11 01:05 | ●花田の日記
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