愛媛新聞「道標」(掲載 2008年5月18日) 連載4回目

国立移民収容所
—記憶継承へ空間残す—

神戸芸術工科大学教授 花田佳明

 今年は日本からのブラジル移民百周年。明治四十一年に最初のブラジル移住船「笠戸丸」が神戸港を出て以来、神戸はブラジル移民と関係が深く、四月には多くの行事がおこなわれた。
 そのひとつが、「旧神戸移住センター」保存・再整備工事の着工宣言式である。昭和三年、現在の神戸市中央区の山の手に「国立移民収容所」として建設され、同七年に「神戸移住教養所」、同三十九年に「神戸移住センター」と改称された建物の保存改修工事が始まったのだ。
 移住希望者たちは、ここで一週間ほど研修や健康診断などを受け、神戸港から船に乗った。昭和十年に芥川賞を受賞した石川達三の『蒼氓』は、日本での最後の日々をこの施設で過ごす人々の葛藤を描いた名作だ。「一九三〇年三月八日。神戸港は雨である。細々とけぶる春雨である。海は灰色に霞み、街も朝から夕暮れどきのように暗い」という書き出しは、日本を離れる不安を暗示した切ない描写だ。
 昭和四十六年に閉鎖されるまで、この施設から約二十五万人の人々が、南米、特にブラジルへ旅立った。その後は神戸市の所有となり、看護学校として、最近では芸術活動の拠点や移住資料展示室として使われてきた。
 一方、この建物に対する移住者やその子孫の方々の思いは深く、百周年を機に再整備事業が決定された。
 改修方針の策定においては、移住史の専門家や在住ブラジル人関係者等による委員会がつくられ、私も建築の分野から委員の一人として参加した。
 『蒼氓』の中で「黄色い無装飾の大きなビルディング」と書かれた収容所は、当時の兵庫県営繕課長・置塩章が設計した鉄筋コンクリート造五階建て、床面積三千六百平方メートルの建物だ。様式建築全盛時代にあって、モダニズムの香りが漂う興味深いデザインである。約六百人を収容し、寝台、食堂、浴室等を備え、当時としては近代的なホテルの観もあった。しかし、「家も売った畑も売った。家財残らず人手に渡して了った」という『蒼氓』の登場人物のような人たちにとって、そこは、言いようのない不安に満ちた場所でしかなかっただろう。
 再整備計画の策定は順調に進み、改修後は、移住ミュージアム、在外外国人支援、国際芸術交流という三つのゾーンで構成し、全体を「建物の記憶を継承する」というコンセプトでまとめることを確認した。つまり、この建物の現在の空間そのものに、最も重要な位置づけを与えたのだ。委員の誰もが、当時の状態をよく保持した空間こそが、移住者たちの夢や不安を伝える最良の媒体であることを認めたのだ。
 この建物から坂を下れば、人々が「荷物の重みに腰をかがめた群れになって」(『蒼氓』)、港へと歩いた道が確認できる。彼らが最後に見た元町の繁華街や海岸通沿いの近代建築群も特定できる。核となる建物が残っていればこそ、神戸という街に潜む移住の物語が浮かび上がるのだ。歴史的記憶は、それ自体がミュージアムと呼べるような都市や地域の空間の中でこそ、より確実に継承されるだろう。
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by yoshiaki-hanada | 2001-09-25 22:35 | ●愛媛新聞「道標」欄の連載
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