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080429(火) 『原っぱと遊園地2』

世間は休日の今日、神戸芸工大は通常授業。いろんな祝日が増え、大学は曜日ごとの日数調整に苦労している。その一環のできごと。他にもこういう大学があったようだ。
2限目、講義。午後はずっと2年生の実習。ドリル式課題のミニ講評会。途中、見学の高校生対応も(高校は休みなので、オープンキャンパスと違い、ふだんの授業の様子を見てもらえますよという企画がおこなわれたのだ)。
2、3年生とも、よくやっている。春休み中のスタジオ大改修の一環で、3年生のスタジオ内にA1サイズの印刷などができるプリントセンターをつくったが、全学年で活発に使われている。スタジオからガラススクリーン越しに見えるのがいい。何かをやっている先輩、友人の姿が見えるのは一番の刺激だ。

青木淳君の『原っぱと遊園地2』(王国社)が出た。本日、本屋で買って帰ったら、彼からも届いていた。以前にも増して、観察者や批評家としてではなく、つくり手の眼によって書かれた文章が集められている。「ゲームのルール」、「オーバードライブ」、「見えの行き来」といった抽象的な言葉が並んではいるが、それらは決して自分の作業をメタレベルから見下ろした言葉ではない。まさに設計行為そのものとしての言葉なのだ。こういう文体や質感の言葉で建築家が自らの設計手法を描くことはなかったとつくづく思う。
彼自身の言葉であるがゆえに、読んでいると、ときに「それはこういうことじゃないの」と要約したくなることがある。あるいは「それは××が既に言ったこういうことじゃないの」とか。しかしそういった要約をすればするほど、新しく登場した言葉は彼の建築からは遠ざかる。それはとても不思議なことだ。しかしいうまでもなく、そういった結果になるような種類の言葉と建築のセットを彼は生み出したのだ。
以前、『新建築 住宅特集』(2007年7月号)でやった青木君と僕との対談・「つくるときの主題」も再録されている。「A」という住宅を手がかりにした対談ではあったが、より一般的な青木論も話したつもり。これまでの建築家は作品や時期ごとに「異なる文体」で書くことはしたが、青木君は「異なるルール」で書いている、ルールを変えながら書いている、というのがそのときの結論。言葉だけだと言われるかもしれないが、今のところ僕が思いつく説明である。さらに対談後に考えついたことなので書き加えはしなかったが、「ルールを変えながら書く」ということができるようになってしまうと絶対に誰からも追い抜かれない、ということになるのではないかと気がついた。このことは、彼の作品の変幻自在ぶりや若い世代との関係に現れていると考えている。
by yoshiaki-hanada | 2008-04-30 03:09 | ●花田の日記
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