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『堀部安嗣作品集』書評

『堀部安嗣作品集』(平凡社)の書評です(『コンフォルト』2015年8月号)。

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リアリティと抽象的思考の往復から生まれるもの
神戸芸術工科大学 花田佳明

 同じ厚さの大型本の1・5倍はあろうかという頁数と重さ。作品集というより植物図鑑のように薄く滑らかな紙の感触。その中に凄まじい密度で図面と写真が詰まっている。見返しに遊びが無く、表紙をめくるといきなり本文が現れる。堀部が本書に込めた思いの強さそのもののような物質性と緊張感だ。
 図面は現状に合わせてすべて修正されたという。100分の1の平・立・断面図や詳細図が揃い、外構や樹木も緻密に描き込まれている。嘘はつきたくないとでもいうような執念だ。
 写真の多くは堀部自身が撮影した。優れた建築家は優れた写真家でもあることが多いとはいえ、他人任せにしない潔癖さに驚いた。どの写真も抒情的な生活感に溢れ、頁を繰る手は何度も止まる。ただし不思議なことに、ほとんどの写真に人影がない。机の上に様々な日常の欠片を残し、住み手だけが突然消えてしまったかのようだ。
 その微かな喪失感から、私は、堀部が幼い頃に父親の書棚にあったギリシャ建築の写真集をずっと眺めていたというエピソードを思い出す。哲人たちの日常が消え、建築だけが建ち続けるギリシャの風景。リアリティと抽象的思考の間を往復しつつ、永遠の時間を凍結した結果とでも言えばよいか。そのような作業が、建築家・堀部安嗣にとっての設計であり、この作品集の編集方針なのだろうと思い至る。
 私は15年前、大雨がもたらした幸運から、「伊豆高原の家」に泊まったことがある。本書を開くと、あのときの夢のような記憶が甦る。それと同時に、「伊豆高原の家」に流れたその後の15年という時間を知っているかのような気持ちにもなる。本書は、堀部の設計した空間を通し、そこで自分が暮したという、あるはずのないもうひとつの人生を想像する機会を与えてくれる。その快楽に浸りたくて、私はかつての堀部少年と同じように、この作品集を書棚から何度も取り出し、眺め続ける
by yoshiaki-hanada | 2015-07-10 22:30 | ●花田の日記
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