100803 最後の授業のお陰で

暑い。
しかし大学はまだ夏休みに入らない(8日からだ)。
多くの大学も同じだと思うが、最近は1コマ・2単位につき15回の授業回数確保が文科省から強く求められるため、祝日の多い月曜日対応や休講に対する補講の実施などに引きずられ、前期・後期とも早く始まり遅く終わる。もちろん、授業回数は単位の根拠であり、その確保を大学は学生に保証しているというわけだが、この暑さの中では、いささか形式主義的過ぎる考え方としか思えない。

僕の担当講義である「建築空間のデザイン」も、途中1回休講を入れたため、今日、15回目の最後の授業として補講をおこなった。
「この授業で僕が言いたかったこと」というまとめと、サヴォワ邸を例に、建築を総合的に構想するということ(それが「僕の言いたかったこと」だ)について話した。
しかし授業というのは常に教える側も学ぶことが多いわけで、今日はまとめを喋っているうちに、僕が「保存」に関心を持っている理由を改めて自分で納得する機会になった。
この授業は、いわば建築の統辞論、意味論、実用論を順に話している(といえると思う)。そして意味論の回の一部に、ポストモダニズムやキッチュ建築の話をするのだが、それらは「取ってつけた文脈」による「意味の過剰」として説明できるというまとめを喋った後、実用論の回で喋った「保存」のことを説明しようとして、「「保存」とは「取って付けたような文脈」によってではなく、「文脈の連続性」によって、「過剰」ではない建築の「意味の安定性」を確保する行為だ」と喋っている自分に気づき、ああそうなんだなあと思い至ったのである。
当たり前だとか、何らかの位置づけがあるからこそ授業に入れてるんでしょとか言われそうだが、自分の設計論の文脈の上での位置づけが明快になった気がして嬉しかった次第。ひとつ前のことについて喋った頭が勝手に次のことについてもうまくオチをつけてくれた、そんな感じ。こういう思考の自動運動みたいなことが、「喋ること」の意義だと思う。

今週末は、ゼミ旅行で直島経由で日土小学校の「夏の建築学校」へ行く。
これを読んでいるあなたも、ぜひ日土へ!

オープンスタジオの青木君との対話編もそろそろ始めないといけないな。
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by yoshiaki-hanada | 2010-08-04 00:18 | ●花田の日記
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