100627 梅雨と昭和の思い出

梅雨。
毎日の足に使っている車の幌から雨漏りがする。
こんな日に乗れないなんて、こんな日に発車できないなんて。

●来週、某高校での職業ガイダンスに参加する。受験業者が間にはいり、いろいろな大学や専門学校が呼ばれて、高校生に各分野の仕事の内容やどうすればその仕事に就けるのかといったことを話すという企画。昔なら考えられなかったことだが、最近は大学の教員をしているとこういう機会が多い。今回は職業紹介だが、分野紹介、大学紹介、いろいろある。高校側も何かしなくちゃ、大学側も何かしなくちゃ、で「交換」とビジネスが成立するというわけだ。
でも僕はこういうのけっこう好きだ。「建築」という職業について話すのが与えられた仕事。30分の話を2回。それぞれ10人前後らしい。高校生は自分の興味ある分野の話が聞ける教室を2つ選び、入れ替わる。今回は20校が呼ばれている。つまり20の教室で20種類の職業が紹介される。僕自身も聞いてみたいほど。
週末はそこで配るプリントを作った。分野紹介はもちろんだが、高校時代にやっておいてほしいことも書く。画像も貼る。キヨシローも登場(笑)。要は「勉強」しろということに尽きるのだが、高校の先生ではなく、外からやって来た人間が言うところに多少は意味があるだろう、と信じている。

原武史・重松清『団地の時代』(新調選書)を読む。
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『滝山コミューン1974』(講談社)での細部へのこだわりに感じたやや不気味な印象はなく、むしろその背景の解説といった趣。団地に潜む「政治」と鉄道路線との関係へのこだわりは、いうまでもなく政治学者であり鉄ちゃんである原の面目躍如たるところ。建築屋が忘れがちの部分だろう。勉強になった。
『思想地図』VOL.5での対談「東京の政治学/社会学—格差・都市・団地コミューン」(橋本健二×原武史×北田暁大)も面白い。

ところで『団地世代』の中で、重松が田舎から東京に出てきた人間として、都会の団地育ちの原へする質問は、かつて僕が大学生として初めて東京に出たときに、そしてそれ以来いまだにもっている劣等感とも違和感ともつかない感覚を代弁しているようで面白かった。
僕は1975年、つまり昭和50年の春に東京に出るまでは、愛媛の田舎町と高知市で過ごした。
電車といえば高知市内のちんちん電車しか知らなかったし、それに乗ることもほとんどなく、自転車で狭い町を走り回る毎日。外食経験もほとんどなく、本や雑誌でなんとなく「都会」や「文化」のイメージに近づいていたつもりだったかもしれないが、何も知らなかったことは間違いない。
まじめに受験勉強をし、Z会の通信添削で外の世界の同世代の存在を意識していただけだった。僕の子供たちの社会経験の方が、当時の僕の何十倍も大きいだろう。
正直言って、大学にはいり、東京の高校出身者たちががなんとまぶしく見えたことか。

まして愛媛時代は田舎町だったから、昭和そのものである。そこには小学校3年の秋までいた。ちょうど東京オリンピックの年、つまり1964年、昭和39年だ。
秋に高知市への引っ越しが決まっていたが、最後に運動会はさせてやろうという親の配慮で、それをすませて移動した。運動会では、三波春夫の東京五輪音頭に会わせて踊り、運動場に五輪のマークを皆で描いた。



その頃のことを思い出すと、なぜか「事件記者」というNHKのドラマのテーマ音楽が甦る。怖かったのだ。あの暗さは、昭和30年代のひとつの側面の象徴ではとすら思う。母親の里が兵庫県で、そこに小さい頃いちど遊びに行ったが、生まれて初めての鉄道による長旅は、なぜか夜のトンネルの記憶だけだ。何か関係あるんじゃないかと思うくらい。作曲は小倉朗



団地なるものも無経験。というか、それをまじまじと見たり住戸にはいったりしたのは、研究者になってからではなかったかな。

『団地の時代』を読みながらいろいろネット検索もおこなった。忘れないようにメモ。
●孤独死ゼロ作戦をおこない、建て替えを拒否した常盤平団地自治会のサイト
●大東文化大学が高島平団地に学生を入居させているプロジェクト「みらいネット高島平」
●慶應大学が三田の町につくった三田の「家」

そういえばこれもよく見てた。音楽の暗さは似てるなあ。作曲は渡辺宙明。有名な人なんだ。



東京での大学生活だって、今から思えば原始時代のようではある。
そのうち書いておいた方がいいかもね。
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by yoshiaki-hanada | 2010-06-27 13:08 | ●花田の日記
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