100602 「模倣」の講評会

4年生の演習科目で、僕が担当している「建築をコンセプチュアルに考える」という設計課題の最終講評会をおこなった。
「模倣」と呼ぶ学生もいる課題だ。この3年間、やってきた。

設計手法には、自分のオリジナリティに拠る方法と、何かを真似る方法とがあるとして、この課題では後者を選ぶ。各自、建築家をひとり取りあげてその設計手法を分析し、その方法を模倣することによって住宅を1軒設計しろ、という内容である。

さらに学生には、次のように考えれば、意外に身近な問題のはずと補足する。

君たちが選んだ建築家の事務所に何年間か勤めたと仮定する。そして、君はその事務所を辞めたばかり。その直後、住宅の設計の仕事が舞い込んだ。君の頭と手には、前勤務先で学んだことが染み付いている。でも今度は自分の仕事として設計をしなくちゃいけない。もちろん、前勤務先で学んだことを否定する必要はないし、すべてはそこが出発点。そういう状況で何をどう考えるのか。「模倣」という言葉を、そんな背景の中でとらえてほしい。

以前にも書いたことがあるかもしれないが、これは僕自身が東大建築学科3年のときに、非常勤講師として担当した篠原一男が出した住宅の課題を参考にしている。彼は、僕の上の学年には、「模倣」による設計を主課題、そして「オリジナリティ」による設計を即日課題として出題し、僕らの学年ではそれを逆にした。そして、これでゲームは終わりというわけで、非常勤講師を辞めたのである。

「模倣」という作業は、他者の手法の分析と、その変形を扱うという点で、建築的言語の操作を学ぶトレーニングに最適と思いこの3年間やってきたが、1年目、2年目と学生からの解答は次第に面白くなり、今年はさらに優れた12の解答が集まった。
選ばれた模倣相手は以下の通り。
藤本壮介、ザハ、ミラーレス、ヴェンチューリ、千葉学、ボッタ、スカルパ、平田晃久、坂茂、北山恒、石上純也、安藤忠雄。

各作品の内容、つまり「模倣」作業の実際を言葉で書くのは難しいが、たとえば、北山恒を取り上げた学生は以下のようなストーリーを組んでいる。

 北山恒は、自分が「現実」と感じられるものから設計をおこなう
⇒都市の現実は工業製品に囲まれている
⇒その生々しさを建築に還元する
⇒たとえば、工業製品であるガラス温室を住宅で使う
⇒僕(=学生)も都市の中で工業製品に「自然」を感じる
⇒たとえば、木々の枝や葉が地面に落とす影と、コンクリート柱に張られたグランドのネットフェンスが落とす影を比べるとき、後者の方が都市の「自然」だ
⇒そういう「自然」だけで住宅を作ってみたい
⇒コンクリート柱とネットフェンスでスクリーン、ガードレールを重ねた壁、工事現場の仮囲いの出入り口用折れ戸、等々を組み合わせて住宅を作る

これだけだと陳腐な感じがするかもしれないが、実際の作品はプレゼも含め、とてもいい。

しかも素晴らしいと思ったのは、学生がそういう土木的な工業製品にも素材感のような具体性を、「コンセプチャルに」読み取っている点である。
たとえば彼は、コンクリート柱とネットフェンスには表裏がある、という。つまり、グラウンド側に柱が立ち、ネットフェンスはその外側、つまり道路側に取り付けられる。ガードレールも歩道側の面と車道側の面は違う。そして彼は、住宅の内部の方に、道路あるいは車道の側を向けたのだ。つまり、住宅の内部を「外部」と見立てることに、仕上げ材料という視点から成功した。

土木的な工業製品を住宅に転用した例としては、川合健二や石山修武の名前がすぐに浮かぶ。しかし、彼らが使ったのはコルゲートパイプという、いわばモノコックな物体であり、「空間」は最初からついてくる。しかしこの学生が選んだ材料は、それらを組み立てなければ空間はない。しかも、相互に接合されることが予定されていない工業製品である。それらを無理矢理寄せ集めた光景には、既視感も違和感もない。
石山さんより難しいことに挑んだね、卒論はその「都市の「自然」観」、卒計はより具体的な実験にしてはどう?と話はさらに展開した。

他の作品もこんな調子。それぞれの学生はかなり深くものを考え、こちらもその内容をさらに説明する言葉を探すことが楽しかった。
英語に喩えるなら、その言葉をゼロから学んできて、だいぶ自由に英作文と英文読解ができるようになってきた感じとでもいえばよいか。
学生にとっては卒論や卒計に向けた頭のトレーニング、僕にとっては作家論・作品論へのネタ探しになる演習だ。

1階スタジオに展示してあるので、芸工大の諸君、みんな見てね。
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by yoshiaki-hanada | 2010-06-04 16:41 | ●花田の日記
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