100223 春

暖かくなった。
ここ2日ほど春のようだ。
それとは対照的に気分はややダウン。
肩から手がしびれてる。パソコンのやりすぎだろう。
整形外科で首のレントゲン。軟骨のすり減り。典型的な老化ですね。
博士論文は1日13時間書くことを自分に課した成果だが、老体にはきつかったのか。くそ!なんとかしてやるぞ、とテレビで高橋大輔 のリハビリのものすごい映像を見て思う。我ながら単純だ(笑)。

教師になってから、この季節は毎年落ち着かない。
若い人の移動を目撃せざるを得ないからだ。
彼や彼女がどういう場所に身を置きどんなふうに生きていくのか。
僕らの時代とすら比べても大きく変わってしまった社会の中で、仕事とは何か、専門とは何か、そんなことに思いがいく。
昨日、日建設計について書いた文章をアップしようと思ったのは、そういうことを少しは意識したのかもしれない。
この文章を書きながら考えていたのは、では自分はなぜそこに残らなかったのかということである。50も過ぎると、なんとなく放ったままのその問題を考え直したいという感じがあった。
しかしどう考えても、あれは身体的な判断だったとしか答えようがないと改めて思った。
今回の特集の座談会のため、久しぶりに(辞めてからわずか2回目だ)日建に行ったが、地下鉄淀屋橋駅の改札を出ると動悸が激しくなり、頬が火照るような感じがしてひどく緊張している自分を意識した。そんな話を友人の建築家にしたら、「大学というところに行くと(僕と)同じように身体が反応する。だから大学の教師にはならないんだ」という返事だった。
アップした文章の中で使った「大学の研究室みたいな場所」という表現は、僕の中の大切なイメージであり、それをどこでならつくれるのかということだったかなとは、少し言葉になった辞めた理由。
僕は自分の家庭はそういうイメージの場所であってほしいし、もちろん自分の研究室もそうしたい。設計事務所でそのイメージを実現できるなら自分でもしたいが、それは僕にはできないとわかる。だから、たとえば青木君のように個人事務所でそれができている人が羨ましいし、大きな組織であれそのようなイメージを具体化しようという試みに、今回まさに身体が反応した。どんな組織であれ、そういう場所にこそ若い人に身を置いてほしいと思うからだ。
もちろん「大学の研究室のような場所」はあらかじめ定義なんかされていない。
無邪気すぎる言い方だという批判は自分の中にある。
しかし、場所と自分自身の間に瞬間的に成立する関係を束ねていけば、少なくともその空間が自分にとっての「大学の研究室のような場所」なのかどうかの判断はつく。だから君も自分なりの「大学の研究室のような場所」を見つけてほしい、なーんていうとまるで卒業式のはなむけの言葉。教師稼業の悪い癖だ。しかし結局そういう場所を嗅ぎ分けたりつくったりしながら僕はかろうじて生きてきたんだなあなんて考えるのも春。
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by yoshiaki-hanada | 2010-02-23 14:46 | ●花田の日記
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