090915(火) 日土小学校のことをあらためて考えた

大学はまだ夏休みだ。そう書くと忙しい皆さんからは反感を買いそうだが、昔は多くの大学が10月1日から後期開始だった。それが今は月曜日の授業日数不足のため、多くの大学が9月の最終週か、早いところは最後から2週目からスタートしている。神戸芸工大も25日から授業再開だ。

しかしもちろんあれやこれや大学の用事は動いている。先週は前期の成績発表と再試験(教師の方が気を使うのだけは勘弁してね)。今年からいろいろと手直しをする予定の後期の担当設計課題(3年生の最後の課題)の内容もあれこれ考えているがまだまとまらない。青木君とのオープンスタジオの対話篇も悩ましい。
学外の仕事としては、日土小学校関係での文書づくりをひとつ終え、学科の何人かの教員でつくっている本の原稿書きと打ち合わせをやり、某辞書のためのゲラの校正をなんとか消化した。現在は、日土小学校関係の別の文書をあと2日間でつくらないといけない。

今日は神戸芸工大に編入を希望する学生さんのお相手をし、そのあと某建築雑誌から日土小学校についてのインタビュー取材を受けた。
結果的に4時間ほど話したのだが、僕が初めて松村建築を見た1994年以降の流れを再整理することになり、ふーんそうだったんだなあと自分で納得することも多かった。日土でやっていることを他人に話す機会が意外に少なかったのかもと思った次第。時分で喋ったことをすぐ忘れるのでメモしておこうっと。

うまく機能した専門家チーム/ぶれなかった行政/自分の役割を心得た人間集団/日土小学校はゲームの「上がり」としての作品ではないがゆえにさらに別のルールを加え楽しいゲームを続けられたこと/そのことが逆照射する松村建築とモダニズム建築の特徴/新築・部分改修・復元という3つの相が併置されたことの建築計画的・意匠論的・歴史的面白さ/保存対象が小学校であったことの意味(良くも悪くも地域の関心を集めた)/占い師の言うことを信じてしまいそうな病人の前で医者は何をなすべきか/効く薬と効かない薬/再発の気配がないことの確認/保存というより要するに建築の設計をしたのだという実感/モノの決定根拠の確認作業の積み重ねとしての位置づけ(旧校舎では過去の事実との関係として、新築した新西校舎では旧校舎のデザインの継承と対比として)/説明可能な建築としての日土小学校/記憶を継承する媒体としての建築/日土小学校を卒業したお年寄りが見れば元気が出るのではないか=ボケ防止薬としての建築保存・・・


『建築ジャーナル』9月号で、日土小学校についての同誌のインタビューを受けた内容が記事になりました(地域の話題のコーナー「日土小学校保存・改修完成」)。
『近代建築』9月号「特集:学校建築―つくりあげてきたこと、これからめざすもの」に、「日土小学校の保存・改修プロジェクトが示すもの」を書きました。
ドコモモ・ジャパンの会報に日土小学校の完成記事を書きました。
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by yoshiaki-hanada | 2009-09-16 00:49 | ●花田の日記
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